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『戦没農民兵士の手紙』

<書誌データ>
岩手県農村文化懇談会編,1961,『戦没農民兵士の手紙』岩波書店

戦没農民兵士の手紙 (岩波新書)

戦没農民兵士の手紙 (岩波新書)



1.本書の目的
〇農民による戦争証言
・「日本の歴史のうえに,農民による戦争証言を加えたいということである.」(1)
→戦争に没した農民兵士らに「発言」の機会を与えること.
・現代のわれわれ「生」は,彼らのいけにえの上に咲いている.
→今生きていることを彼らの死を通して考える.

2.戦没農民兵士の手紙
①藤堂勤さん
(盛岡 妻へ)
「今日も演習だ.(中略).ただ立っていて号令を下すのみ,たいした苦労でもない,百姓よりはむしろ良い.」(10)
・「飯がまずくて食べられん」(10)
・みんなの面会を見て,「俺もと思ったが,お前の苦労を思うとき,十日やそこそこで会いたいとは男として言ってよいものか悪いものか?心の中では会いたい,一日だって一刻だってお前の子とは思わん事はない.わかるか俺の気持.俺は心の中で泣いているぞ.お前とて同じ事だろう.」(11)
②斎藤長左衛門
(北支 父へ)
・自宅の馬の話から,「二回も軍馬購買に出て不合格とは残念のことですが,家業にとっては喜ばしいことです.分家東治郎の馬は軍馬に徴用されたことは,国家にては重大なるが,農耕作には非常に困りましょう.」(25)
・「良子の写真まだ到着しません.」(25)
・「小生,お陰で軍人に来て,それ以上うまいものを食べております.」(26)

③佐々木清美
(両親ならびに妻へ)
・「一番楽しい事はお手紙です.何卒御慰問の程御願申ます.」(29)
(前線 母へ)
「キヨミハ,ハヅメテ,タマノナカヲ,クグリマシタ,タマハジトツモアタリマセンデシタ,」(32)

④小栗助治郎
(検閲を逃れて出したもの)
「科学の兵器もあるので,心強いです.」(39)

⑤森下清香
香川県 妻へ)
「俺も入営後,何一つ変ったことはありません.大元気で毎日遊んで居る.(中略).俺たちも今度は楽な者だよ.毎日遊ぶようなものだ.馬鹿らしくて仕方がない.」(44-45)
「写真を見たい.貴女と子供二人と写した分が見たいけれど,まだ早いかね.よい時機を見て写してくれ.そのうち,僕も写して送る事にする.」(46)

⑥小野寺福男
旭川 妻へ)
「実はお前からの便りがないのでうらんで居たよ.」(48)
「子供等の写真は急がなくてもよいからとって送ってくれ.」(48)
旭川 長男へ)
「シャシンハイツデモヨイカラオクレ」(50)
旭川 妻へ)
「札幌から写真が届いたか,一枚送って呉れ.お前のな,あるなら頼む.」(52)

⑦安部勝雄
(北支 妻へ)
(北支 妻へ)
「戦場から退いて勤務に就いておりますと,何と言っても案じられるのは家のことであります.戦争もそろそろ終わりになりましょう.掃蕩や討伐くらいにものになりましょう.」(67)
「昨夜も電線を切断されて迷惑しましたが,土民をいちいちいじめてもいられないから,愛撫して幾等でも仕事に従事する様にと思って居りますとそれに付け込んで土民のふりして悪戯して歩かれますのでほんとにこまります.」(71)
「槍丈持って居った奴等で逃げた奴もありましたが残った二,三十名皆殺しにして来ました.」(72)
「どうした訳か手紙は近頃殆んど参りません.」(73)
(北支 妻へ)
「警備して居る私等としては責任を完全に果たしつつあるといえんので申訳なく存じて居ります.」
「性病患者は完全に治らなければ日本の土地を踏ませないというのでとても厳しくて居りますがそれでも感染してくるもの,疲労から起こるもの,再発する者も多少ありますので出来得る丈,厳重に注意を促しております.」(76)
「交代兵が来て年次の古い所から交代して内地に帰還することが近い様な話もずっと前々からありましたが噂はあてにならず,」(77)

⑧及川一男
(北支 妻へ)
支那の子供は自分らが子供というと大人々々と叫んで来て,手をつかんで遊んで居ります.それをみれば,何,支那と見ても涙がこぼれます.」(83)

⑨梅原善三郎
(北支 父へ)
「それから写真をとりましたから御送り致します.」(89)

⑩佐々木徳三郎
(北支 家族へ)
「しぼられるだけしぼられました.幾度となく涙が,不覚の涙が,いつも無学の涙でした.頭が足りないためでした.真剣味がなかったからでした.熱がなかったからでした.自分には欠点ばかりで,何一つ人の模範とする処はありませんでした.人よりは何一つも優ったものを持たぬためでした.」(92)
「我々の様な山だし人間とちがって,大都会に暮し大勢の中でもまれたものはちがいます.」(92)
「初年兵の日常の行いが良くとも悪くとも,みな自分にかかってくるからやり切れないよ.」(93)
(北支 妻へ)
「行程は進んで,今では毎日残兵の殺された者がさまざまなかっこうで死んでいるのを四,五人は見ます.(中略).死馬の匂ってる時の気持は何とも言えない異様な気持になります.最初は緊張した気持になれましたが,今では馴れて死体がなくなれば何だか戦場から遠くはなれた気持がして,かえって変な気持になります.」(97-98)
「甘いくちづけのうっとりした気持も今は唯思い出のうつつか,」(98)
「毎日接する支那人に片亊交りの話も出来るようになり,野菜や水を貰うこと位は平気になりました.人間に変わりは有りません.こちらで笑って接すれば,むこうでやさしく何でもくれます.こちらが抜刀なんかして行けば恐ろしがって逃げてしまいます.」(99)
「子供の事は何時も思い出していますから,出来たら,写真を送って下さいませんか.」(100)
「出来たら手紙を下さい.皆んなにくるのに手紙一本出す者もいないかと思われるのも変ですから家の様子を知らせて下さい.」(101)

⑪河村富治
満州守備隊時代の日記)
「酔って武勇伝を発揮する勇士あり,地方ではなかなか手に入らぬ御酒,酔って前後不覚になるのはどうかと思う.」(104)
「兵隊は食う事と,寝る事が唯一の慰安のようだ.」(106)
「此所の兵隊は吾々と同じ東北の福島県人なそうだ.今まで関西人とばかり兵隊の中で生活してきた吾々はとても親切が身にしみる.」(110)
「二十一日より新聞も見ぬ.戦争はどうなっているか.」(111)
「今日頃何か便りあるものと思っていたけれどなし.」(111)
大東亜戦争の結果は?」(114)
「今晩なども何より明るい電灯の下で本を読む事が出来たので大喜びだ.子供の様にはしゃいで居る.」(120)

⑫瀬川四五郎
(北満 兄へ)
「当満州ではフンドシや花王石ケン等が不足ですから手紙でも送って下さい.」(121)
満州 妹へ)
「軍隊は俺に適して居る様だ.」(122)
満州 兄へ)
「今日も語学(英語)で頭を痛めて居ります.専門の学科は勿論,習字,ソロバン,数学,複写,国語,訓話,なんでもやりますのであんまり人に負けたくないと思えば相当忙しいです.」(123)

⑬小笠原辰雄
(雑誌の挿絵を切り抜いたアルバムに書き綴られたもの)
「余が出征前の記念写真なり……この写真が永久に記念となるやもはかられず,」(124)
「この頃は俺にはちっとも便りが来ないんだよ.今頃は何をしているだろうな.」(127)
「デモ俺達ニハコノ写真ノ様ニ二人キリデ散歩ニ出テ歩ケルカシラ?イヤキット歩ク……」(128)
「書を達す これが一日の中で一番待遠しい 今日届いたのの喜び,明日への希望 これが何より俺の心を はげましてくれるのだから, 一生懸命書いてくれ, これ すなわち愛の現れなり.」(128)

⑭生内正一
(父へ)
「毎日敵の姿を見,何時神になるのかそればかり楽しみに.生きて帰れる事は無いと思います.」(135)

⑮岩泉武正
(フィリピン 兄へ)
「製炭の方はどうですか.兄さんと一緒に働きたくて仕方がありません.やっぱり自分には百姓か,炭焼きが適当な仕事なのかもしれませんね.」(150)

⑯畠山喜久治
(両親へ)
「長い間,心配かけた小包二個,意義ある陸軍記念日に受取りました.中を開いて見るより早く御菓子をたべ,もちをかたいががりがり食べる此の嬉しさ,美味しさをなんといいましょうか.」(157)
「昔を思うと今でも一銭を見,手に取る時があります.学校に入学もし,伯父さんが学校に行かぬと恐れるにたらん.今の世は金さえ持つと人が来よる時だと話してくれるが,学校にだけは入りたかった.」(158-159)

⑰八巻藤一郎
(青島 妻へ)
「敵も相当多数残りも居るし,死人も沢山で,実に戦争の後は筆や話に言う事は出来ませんネ.」(169)

⑱松下八寿雄
ニューギニア 妻へ)
「三,四日前に便りを出したばかりだが,また出したくなって書きます.」(178)

3.刊行の経緯といくつかの考察
〇経緯
・戦死者の声を記録すること.
→戦死者の筆によって残されたものを今記録しなければ,だれが後世に伝えてくれるだろうか.
戦没者岩手県だけで三万七千余名にも上る厳粛な事実.「この事実の重さを,戦争体験者も,また戦争を知らない現代の若い人々にも,今日ことあらためて想い起してもらう必要があると考えたからでした.」(222)
・728名分,2873通の手紙を集めることができた.

〇特殊性と普遍性
・手紙は防諜上の理由がから厳しい検閲がかけられ,いくつかの決まり文句―「滅私奉公軍務に精励」―に限られていた感じがある.
→本書に収められているのは,そうした検閲を逃れた手紙であり,そうした意味で特殊な手紙である.
⇔同時に普遍性の手紙でもある.
→休息や検閲がなければ,大部分の兵士たちが同じ,またはもっと心情を吐露した手紙を書いたに違いない.
⇒検閲を逃れえた特殊な資料であるが,だからこそ兵士の普通の気持ちが表れている普遍性も持ち合わせた資料である.

〇いくつかの傾向とそれへの考察
①兵士であると同時に農民であり,自宅の農耕への配慮が見られる.
②軍隊や戦地における辛さが書かれていない.
→なぜ農民兵士は勇敢でありえたのか?
⇒日々の質素かつ過酷な労働からくる肉体的精神的な強さ.
③進級を知らす手紙,軍隊をあこがれる手紙
→④数々の送金の記述.「当時の二十円,まして百五十円という金,それは家にいた限りでは容易には作り得ない金だった筈です.」(228)
→⑤軍隊教育が学校教育の延長の意味も持っていた.
⇒軍隊が考えられる唯一の立身出世の道.序列を変える手立て.インテリも労働者も農民もない.むしろ頑強な体からくる優越感.
⑦子供らへの期待
→入隊後の学課で泣かされた農民兵士.みるみる昇級していく学徒兵を見る日々.
⇒勉強を頑張ってくれとの願いが込められた手紙.

〇最後に一言
「こういったら英霊に対する冒瀆だろうか.もしそれが冒瀆であるとするなら,むしろそのような死に方をさせておきながら,それを,名誉であるかの如くとりつくろって来た人々にこそ帰せられるべきではなかろうか.」(231)


4.私が気になった点
〇慰安と娯楽としての手紙ならびに写真
・手紙が欲しい,写真が見たい,写真を送った.
→家族との唯一の通信手段.家族の顔,自分の顔=生きている,元気でいることを伝える手段.
→戦時中手紙で何をしたかったのか,写真で何をしたかったのかという「メディア考古学」視座による分析.
・戦時中に兵士らが一番に望んでいた慰安は家族との通信.または休暇・休息,そして甘味・美味しいもの.
〇科学
・科学の兵器という記述
→この国の近代以降の「科学」なるものに対する特異な言表の出現.
〇気づかなかった点
・あとは上記考察とほとんど似ているが,いくつか見落としていたというか,当たり前のように思い見逃していた点がいくつか.
①金送付.これは当たり前のこととして気に留めていなかった.
②進級.軍功へのあこがれ.兵士一般の感情だと思っていたが,編者らの考察のほうが鋭かった.