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グロティウス『戦争と平和の法』の検討

前回,橋爪大三郎『戦争の社会学』で一章を割かれていたグロティウスの『戦争と平和の法』を取り上げた.
chanomasaki.hatenablog.com


 ここでは,『戦争と平和の法』に関しての概観を確認したが,橋爪の整理には若干適当なところがあり,この古典の位置づけを明らかにするには不十分だった.
そこで今回は,日本で『戦争と平和の法』に関する基礎研究をとりあげる.日本の法学雑誌『法律時報』は,1982年11月から1984年12月までの25回にわたって,「『戦争と平和の法』の研究」と題する連載を掲載した.これは,「国際法基礎理論研究会」において1976年11月から78年10月までに行われた研究成果である.同研究会は1976年9月に比較的若い研究者を中心に結成された.同研究会の主旨は,「国際法学における方法的反省の中で,法の妥当根拠,法と政治,法と正義,戦争,植民地など,国際法学の原理的諸問題を考察するための基礎的研究」にある(大沼保昭 1982: 76).こうした目的を達成するために,同研究会は近代国際法史上重要な意義を持つ基本的著作を,その時代時代とのかかわり合いにおいて読み進むことを進め,グロティウスの『戦争と平和の法』を取り上げた.
法律時報の本稿執筆時の最新号

法律時報 2019年 03 月号 [雑誌]

法律時報 2019年 03 月号 [雑誌]


国際法基礎理論研究会に関する情報はネットにない.これが同研究会を取り上げた初めての記事.



 連載の第一回目は,現代日本国際法研究の大御所大沼保昭*1東大助教授(当時)によって,従来の『戦争と平和の法』の位置づけ,解釈,さらにこれまで意識的・無意識的に採用されてきた方法に対してわれわれが疑問とする点がまとめられた.

(1)国際法学における歴史的研究に関して,方法的観点から抱いている疑問.

・国家論,法理論を論ずうえで欠かすことのできない様々な思想家において,国際法の位置づけがあいまいなままでしか論じられていないという負の国際法意識を,国際法学の立場からどのように受け止めるのか,そして国際法学がそうした思想家のなかで「国際法」の占める地位を明らかにしてこなかった意味を検討する.
→グロティウスの「国際法」観は,戦争の規制という目的のもと,理性への時代精神の中で,私法,公法の具体的諸規則を含む自然法,諸国民の法を「体系」化したという総体的事実の把握のもと理解する必要がある.
⇒政治体構成単位としての個人の不在,彼の「近代的」法理論による伝統秩序肯定的性格などは,この視座において明らかになる.
・時代のコンテクストを考慮することなく対象とする思想を把握する,単なる外在的理解・批判に終わっている.
Ex)国際法におけるコレコレの思想はダレソレの思想に見られる権威付けや伝統を説くもの,グロティウスの法概念を,法と道徳の混同であり,「遅れた」ものと決めつけるもの.
⇒古典であるがゆえに,一面的に語られ,評価されている.

(2)今日の国際法学会が陥っている「戦争と平和の問題」への消極的姿勢への反省

・今日の国際法学は戦争の抑制に関して無力であり,そのことが国際法学から戦争と平和を正面切って論じることから遠ざけ,今日の「実定」的国際法学が処理しやすい技術的問題への埋没か,あるいは,そのような方法のみに基づく武力紛争法への「実定法的」アプローチという結果をもたらしている.
→グロティウスから,国際法学と時代とのかかわりあいについて,示唆や意味を見出せる.

 われわれの理解するところでは,『戦争と平和の法』の著者グロティウスは,ヨーロッパの中世普遍世界が解体の過程にあり,法と道徳・宗教が一体化した規範意識と,それを担保する教会,教皇の権威が崩壊しつつあるなかで,赤裸々な利益,欲望の原理に基づく政治体の行動規制という困難な課題に正面から立ち向かい,その目的達成に必要なさまざまな議論を回避することなく,一方では,際限のない宗教戦争に終止符を打つべく「法」の「宗教」からの自立を果たしつつ,他方では,にもかかわらずいまだ残存し,それなしには「政治」を統禦できない道徳的・宗教的規範意識を事実上方法に結びつけるという綱渡り的な営為を一貫することによって,その課題の遂行に全精力を傾けた法学者であり,人間主義者である.
(大沼 1982: 78)

国際法史上最大の古典から学びつつ,その思想性とイデオロギー性,法的革新と実質的伝統,平和への真摯な希求と現存する暴力構造の現実主義的肯定など,矛盾を意識し,グロティウスの意義と限界を明らかにする.

(3)国際法における植民地体制,欧米中心主義への批判的観点.

国際法について語られた期間のほとんどで,「地球上の大多数の人間が帰属する社会は,あるいは植民地支配下であるものとして,あるいは共通の文明に基づく法の主体たりえぬものとして,国際法上の論議から基本的に排除されていた」事実に鑑みれば,国際法は植民地体制を正当化する道具であり,消極的な形であれ欧米による世界支配を総体的に弁証する役割を果たしてきた.
国際法は,基本的にヨーロッパにおける多層的・多元的な政治体相互間の関係を規律し,法学的に説明するというかぎりにおいて意味を持つものであり,ヨーロッパ文明による多文明支配という観点からみれば,その位置づけにはさらなる検討が必要である.

[文献]
大沼保昭,1982,「『戦争と平和の法』の研究 1」『法律時報』54(11), 76-81.

*1:現在は故人.