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橋爪大三郎『戦争の社会学』④ クラウゼヴィッツ『戦争論』

<書誌情報>
橋爪大三郎,2016,『戦争の社会学――初めての軍事・戦争入門』光文社.


目次

はじめに
序章 戦争とはなにか

第二章 古代の戦争
第三章 中世の戦争
第四章 火薬革命

第五章 グロチウスと国際法 

第六章 クラウゼヴィッツ戦争論   ⇦いまここ!

第七章 マハンの海戦論
第八章 モルトケ参謀本部
第九章 第一次世界大戦リデル・ハート
第十章 第二次世界大戦核兵器
第十一章 奇妙な日本軍
第十二章 テロと未来の戦争
あとがき

1.クラウゼヴィッツの『戦争論

 橋爪は第6章でクラウゼヴィッツの『戦争論』の読解を行っている.本書は戦争論の古典として軍人だけではなく,学者・学徒,官僚など多くの人に読まれてきた.まさに古典中の古典である.
 著者のクラウゼヴィッツ1780年から1831年までの51歳を生きた.彼はプロイセンの将校で,ナポレオンとの重要な会戦にはすべて参加し,ナポレオンの登場によって革命的に変化したヨーロッパ戦争のあり方を解明しようという動機で『戦争論』に関する草稿を書き続けていた.これらの草稿を夫人が整理し出版したのが『戦争論』である.十分な推敲がなされる前の草稿段階であるため,重複しているものや論理的に不十分な点があったりとして,1000ページを超すこの書物を読み切ることはなかなかに難しいらしい.
 橋爪は本書を「戦争について科学的,体系的に論述した,ほぼ唯一の書物」「(本書を読むことで―引用者注)近代戦争の恐るべき本質を,心の底から理解することができる」(橋爪 2016: 127)と評価する.

2.ナポレオン軍のもたらした改革

 前々回でも取り上げたが,橋爪はナポレオン軍がもたらした変化を次のように整理した.
すなわち,共和国の軍隊と徴兵制の2点である.フランス革命(1789-1799)を経ることでフランス軍は国王の軍隊から共和国の軍隊となり,フランス共和国を守るためのナショナリズムが軍事行動の主体の構成から意識までを大きく変えた.共和国の市民からなる国民軍は徴兵制をしくことで,士気と兵員数でこれまでの傭兵中心の軍隊を大きく凌ぐことになる.ナポレオンの前後で武器・兵器,装備,諸施設,交通,通信などの点は大きく変わらない.それなのにナポレオンが連戦連勝をおさめた秘密は上の2点が大きくかかわっている.
 クラウゼヴィッツは,隣国フランスのこうした状況をつぶさに見てきた.次はこうした時代状況にあった『戦争論』の橋爪による読解を整理していこう.

3.『戦争論』読解

 まずは,本書の構成を確認しよう.『戦争論』は8部構成の大著であるが,先述のように厳密には草稿段階であり,クラウゼヴィッツ本人によれば,十分に推敲しているのは,第1部「戦争の性質について」の第1章「戦争とは何であるか?」だけだという.
 第1部には戦争の定義と戦争と政治との不可分な関係が論じられている.橋爪が序論で示したように,「戦争とは,相手をわれわれの意思に従わせるための,暴力行為である.」,そして「戦争とは他の諸手段による継続した政治以外の何ものでもない」は,戦争を含む一つ大きな枠組みでのコンテクストを明らかにしている.そうした暴力行為は際限がない.「軍事行動の目標とは,常に敵の武装解除(敵の粉砕)である」とあるように,いったん戦争に入ったなら一時的に相手を不利にするだけではなく,相手がますます不利になると思わせるか,事実上の無抵抗状態にするまで暴力の行使を止めてはいけないとクラウゼヴィッツはいう.この徹底性が,ナポレオン以後の戦争の特徴である.
 クラウゼヴィッツの洞察力を示す記述が,戦争と政治との連関性に関するテーゼである.先述のように戦争と政治は連関している.しかし,次のようにも述べている.

政治によって喚起された瞬間から,戦争は政治から全く独立したもの,政治を押し退けるもの,そしてひたすらそれ自身の法則にのみ従うものとなる…….

つまり,戦争はいったん始まると,独自のテンポ,独自の法則性,独自の年代記の中で動き始める自律的な領域となる.だからこそ,戦争の科学的研究が可能であるし,必要であるのだ.政治と戦争,言い換えれば言論と暴力の連関性と自律性をクラウゼヴィッツは洞察していることになる.
 以上の本質をもつ戦争はどのような目的をもち,どのような手段で実践されるのか.端的に武力行使が手段であり,「戦闘力,国土,敵の意志」を脅かす.そして最終的な目的は「講和条約に調印させ」ることである.戦闘はあくまで手段であり目的ではないが,だからこそ,手段である戦闘は戦争において一番重要な要素である.戦闘なくして戦争に勝利することはできない.ところが個別の戦闘は,戦争という大きなコンテクストの中で初めて意味を持つものであり,ミクロな戦闘とマクロな戦争が相互に織り込まれていることを意識しなければ,個別の戦闘行為で一喜一憂し,大局を見誤ることになる.
 第2部は軍事学の基礎を整理している.軍事学とは,狭い意味では戦争に際して有効に使用する技術,すなわち作戦のことである.広い意味では,戦争に関する全活動,徴兵,武器防具などの装備品,訓練などなどあらゆる領域を指す.戦争の遂行で重要なのが.戦術/strategyと戦術/tacticsの2つであり,これらは区別される.戦術がそれぞれ個別の戦闘で展開され,その権限は現場の指揮官が握っている.一方で戦略は個別の戦闘をつなぐ全体のストーリーで展開されるもので,これは参謀が担う.
 クラウゼヴィッツは,従来の軍事学をいくつかの点で批判している.例えば,武器や要塞など,物質的素材に偏った議論,不十分な作戦論,数量のみが重視され,数値化できない補給,基地,交通路の原理,精神面が軽視されているなどなど.こうした領域を含めた理論的考察の必要性を説く.
 第3部で扱うのは戦略全般である.戦略で重要なのは次の一点である.すなわち,戦略にとって勝利は戦術的成功であり,それは手段にすぎない.究極の目的は,直接に講和にもたらすような状況を作り出すことである.これは戦争の目的が講和を結ぶことであったことを思い出してもらえばわかる.
 それでは,講和への手段である勝利とはどのような科学的検討が可能なのか.クラウゼヴィッツは物質的諸力と精神的諸力を不可分と考える.物質的諸力が拮抗していれば,あとは精神的諸力の問題である.物質的諸力+精神力=戦力といった単純な総和の話ではないことに注意が必要である.そもそも精神力は数値化できない.この2つは分離不可能な形で結合しているとはいえ,それは人間が行為者である以上当たり前の話である.
 クラウゼヴィッツは物質的諸力の上で最も重要で,かつそれが戦争において最も重要な法則として「兵力」をあげている.これは鉄則中の鉄則である.だから戦時にはできるかぎり兵員を動員すべきだし,個々の戦闘の場面でも兵力は分散せずに集中させるべきである.したがってもっともやってはいけないことは,兵員を小出しに随時投入していくやり方である.また戦略的予備軍を置き,増援部隊や奇襲軍として使うこともまた,避けなければいけない行動である.
 第4部は「戦闘」が扱われている.ここでも従来の戦闘論が批判されている.クラウゼヴィッツは戦わずして勝つというような理論が高給と考える傾向を批判し,戦闘とは敵の戦闘力を壊滅させることであると指摘する.そのためにクラウゼヴィッツは,決戦至上主義と言われる考えを提示する.決戦至上主義とは,すべての戦力を集結し,主戦を行い,主戦の勝敗が戦争の勝敗を決めるというものだ.
 第5部以降はなかなかにマニアックなるので割愛したい.以上が橋爪の大まかな整理である.次は,この整理に関するコメントにはいる.

4.クラウゼヴィッツと『戦争論』をめぐって

 まず,橋爪の整理に関するコメントについては,これまでに通底するコメントになるが,いったい橋爪は何をやりたいのかという一点に尽きる.これは本書全体の評価と関わることだが,これは本書の性格からしてしかたない.ただ,古典の読解ではなく要点を紹介をするだけなのがもったいない.テクスト内在的な読解が求められる.
 本稿も,あらためて,クラウゼヴィッツの『戦争論』の要点を命題的にまとめるかたちで,社会学的視座のかけらも感じないまとめでおわろう.この部分は,参考文献で上げる本に依っている.

(1)理論上の戦争と現実の戦争
 クラウゼヴィッツの独自性の1つは,戦争を理論上の戦争と現実の戦争という概念にわけ,それを対峙させながら,戦争を考えていくことである.理論上の戦争とは,橋爪がこだわっていた一方の側による他方の完全な殲滅である.これに対し,現実の戦争は外部の諸力学によって,例えば政治・経済・文化・社会の影響を受ける.そこでは理論上の戦争に至ることのない様々な事例もあることから,こうした制限された戦争もまた重要である.また,戦争は一回きりの行為ではなく,小競り合いも含め,数十年に及ぶものでもある.だからこそ,「戦争とは他の手段をもってする政治の継続にほかならない」のであり,戦争を分析する理論的枠組みが出来上がるのである.

(2)戦争を分析する理論的枠組み
 戦争を分析する理論的枠組みは,次の三位一体の戦争モデルである.

①盲目的自然衝動と見なし得る憎悪・敵愾心といった本来的激烈性
→橋爪の戦闘の記述部分
②戦争を自由な精神活動たらしめる蓋然性・偶然性といった賭けの要素
→橋爪の精神の記述部分
③戦争を完全な悟性の所産たらしめる政治的道具としての第二次的性質
→政治の延長戦の議論.悟性とは,理性と区別して、経験に関する知。

三位一体なのだから,どれかが欠けてもいけない.これらの1つを重視してもだめだ.


[文献]
清水多吉・石津朋之編,2008,『クラウゼヴィッツと『戦争論』』彩流社

クラウゼヴィッツと『戦争論』

クラウゼヴィッツと『戦争論』

Clausewitz, Carl von, 1832, Vom Kriege, dümmlers verlag.(=清水多吉訳,2001,『戦争論 上・下』中央公論新社.)

戦争論〈上〉 (中公文庫)

戦争論〈上〉 (中公文庫)

戦争論〈下〉 (中公文庫―BIBLIO20世紀)

戦争論〈下〉 (中公文庫―BIBLIO20世紀)