幸福なポジティヴィスト

アイコンの作者忘れてしまいました。

N・Fairclough, 1992, Discourse and social Change, "Michel Foucault and the Analysis of Discourse,"

<書誌情報>
Norman, Fairclough, 1992, “2 Michel Foucault and the Analysis of Discourse,”Discourse and social Change, Cambridge: Polity Press, 37-61.

Discourse and Social Change

Discourse and Social Change

Contents

Preface
Acknowledgements
Introduction
1 Approaches to Discourse Analysis
2 Michel Foucault and the Analysis of Discourse    ⇦いまここ!
3 A Social Theory of Discourse
4 Intertextuality
5 Text Analysis: Constructing Social Relations and 'the Self'
6 Text Analysis: Constructing Social Reality
7 Discourse and Social Change in Contemporary
8 Doing Discourse Analysis
References
Index


1.はじめに―課題の設定
フーコーを検討する理由
フーコーの言説分析は,社会科学の研究者らによって1つのモデルとして広く取り上げられてきた.そして,私が2つの必要性の関係性,社会的文化的変動を研究することにおいて異なる言説分析のアプローチを主張しているので,この2つの関係性を明確にしなければならない.
→テクスト的(言語学的)言説分析/textually oriented approach to critical discourse analysis(以下,TODAと略記)とフーコーのより抽象的なアプローチは対照的である.
⇒本章の目的の1つは,TODAを社会分析に十分耐え得るものとして提示することであり,社会科学の研究者がこのアプローチをとるべき理由を説明することである.
②理論的に十分で実践として使用可能である言説分析というアプローチの発展が,言語学的言説分析と近年の言語と言説に関する社会理論の知見の統合を必要としているからである.
フーコーの研究成果は,言説と権力の関係性,社会的主体と知の言説構造,社会変動内の言説の機能といった諸領域において,言説の社会理論に多大な貢献をしているが,言語学的側面については十分に発展されてはいない.
⇔言説分析に関するフーコーの成果を単純に援用することはできない.

フーコーの言説分析とTODAの言説分析の相違点.
①分析対象に関わる相違点
フーコーは,知の構成要素として言説実践に着目し,極めて特殊な種類の言説―人文諸科学―における言説形成と関連する「知」の変容状況を考察した.
・TODAは,原則的にあらゆる種類の言説―会話,教室,メディアなどなど―を対象とする.
②テクストか言説の様態か
フーコーは,言説の「可能態/conditions of possibility」(Robin, R 1973: 83)に注目する.また,言説の特定のタイプに関する「対象」,「言表様態/enunciative modalities」,「主体」,「概念」,「戦略」を定義する「形成の諸規則/rules of formation」に注目する.
→こうした諸規則によって構成された「知」の支配を強調する.
⇔初期の「考古学」は,知の構成領域の諸規則としての言説のタイプ(「言説形成」)に注目する.後期の「系譜学」は知と権力の関係性に移った.最後には,「倫理」の問題,つまり「個人はどのようにして,彼自身を独自の行為をする道徳的主体として構成するようになるのか」という論点に向かった.
→すべてにおいて言説は対象だが,その位置は変化している.
・TODAは話され,書かれた言語的テクストを中心に分析する.

〇本章の課題
フーコーの考古学における言説の概念を検討し,フーコーの系譜学における言説の位置がどのように変化しているのかを論じる.
⇒TODAの理論と統合されるべきで,メソドロジーで機能するようにすべきである,フーコーの言説と言語に対する多くの価値ある考えと理解を同定すること. またTODAにとってのフーコーの弱さを論じながら,どのようにTODAが社会の分析を強化することに役立つのかについても論じる.


2.Foucault’s ‘Archaeological’ Works/フーコーの考古学の仕事
2-1.はじめに
フーコーの言説についての2つの理論的認識
①言説の構成要素の観点.
→言説を,社会を様々な側面で動的に組み立てたり,構成したりするものとしてみなすこと.
→言説は知の対象,社会的主体と「自己」の諸形式,社会関係,概念の枠組みを構築する.
②社会や制度の言説実践の相互依存
→テクストは常に他の同時代テクストや前のテクストを引用し,変容させる(=間テクスト性/intertextuality).そしてあらゆる言説実践のタイプが他との組み合わせ以外を生成され,他との関係性によって定義される(pecheux).

フーコーの言説分析
フーコーが考古学で言説や言説分析によって意味したことってなんだ?
フーコーは,言説分析を「発言・述べること/statement」(フランス語で「エノンセ」,日本語で「言表」)を分析することとして理解している.エノンセは表明することだけではなく,質問や命令,脅迫なども含んでいる.
→言表の分析は,「諸前提の論理的な分析,文の文法的な分析,言語運用の心理的,文脈的な分析」以外の「言葉の運用」を分析する数多くのやり方のうちの1つである(Foucault 1972: 107-8).
フーコーにとって,言説分析は言語学的な分析と同一視されるものではなく,言語と言説は異なるものである.言説分析は,何の文が可能か,または文法的かを明確にするのではなく,特定の時代,場所,制度的位置に,他のものではない特定の言表が出現することを可能にさせる諸規則のシステムである,社会歴史的に変動する「言説形成」(言説群)を特定することである.
フーコーのいう諸規則は,社会言語学者が1970年代に言語使用の社会的諸規則,社会言語学的諸規則というようになったものの類ではあるが,フーコーの見方は言語的テクストについて関心がなく,社会言語学で明らかにされたものとはきわめて異なるものである.

〇言説形成の諸規則
・言説形成は,それに属する言表の特定のまとまりへ向かう「形成の諸規則」,より明確には,「対象」の形成の諸規則,「言表の諸様態」の形成の諸規則,主体の位置づけ,「概念」形成の諸規則,「戦略」の形成の諸規則を構成する(Foucault 1972: 31-9).
これら形成の諸規則は,前の言説と非言説的諸要素の組み合わせによって構成される.そして,それらの接合のプロセスは,言説を社会的実践(フーコーは言説実践と表現している)となる.

2-2.対象の形成/The Formation of objects
・言説の対象は,特定の言説で自主的かつ単純に言及され,話されたりすることで存在するというよりは,いくつかの特定の言説形成の諸規則に従う言説において構築され,変容するという点である.
・ここでの対象とは,特定の言説や諸科学が関心の領域で認識し,研究の対象としてする実体としての「知」の対象である(公的な学問領域や科学をこえて,普通の生活において認識される実体に拡大される).
Ex)19世紀の精神医学の言説における1つの対象として,「狂気」の構築を扱った.
→「精神病」は,それを名付け,分類し,記述し,説明するすべての言表で言われたことのすべてによって構築された(Foucault 1972: 32).さらに,それは安定した対象ではなく,言説の諸形成のあいだと既定の言説形成の両方を継続的に変容の影響を受ける.
⇒言説形成はその対象の変容を考慮するような方法で定義される必要があることを意味する.そしてフーコーは,「1つの言説のまとまりは,1つの対象の永続性と独自性ではなく,様々な対象が出現し,継続的に変容する領域にもとづいている」と主張した(Foucault 1972:32).

〇言語と現実との関係性
・言説分析にとって重要なのは,社会生活の対象(と主体)を産出し,変容させ,再生産するような言説の構築的な観点である.
→現実にあるとみなされている対象に単に言及する言語とともに,言説は現実と受動的に連関しているというよりはむしろ,言説が現実と動的に連関しており,言語は意味を構成するという意味で現実を示している.
→言語と現実の関係性の観点は,言語学言語学に基づく言説分析において前提とされてきた.


・「領域/space」とは,「制度,経済,社会的プロセス,行動パターン,規範のシステム,技術,分類の諸タイプ,特徴の様態の間」の対象への形成の諸規則を構成するような,1つの関係性という観点で所与の言説形成のため定義される(Foucault 1972: 45).
→言説形成は,対象を強く制限された様々な方法で構成する.そして,その制限された方法は,言説形成の「内部」で生じたものを制限することは,いくつかの言説形成のあいだの間言説的関係の1つの機能であり,そして言説と言説形成を作る非言説的実践とのあいだの関係の1つの機能である.
⇒制度的・社会的な「言説の諸規則」―制度や社会における言説実践の全体性,そして言説実践間の関係性―というものにおけるそれぞれとの連関での言説形成の構造化と接合の分析という中心的な議題にあることから,間言説的関係への抑圧は,言説分析にとって重要な非明示的意味をもつ.
・言説の諸規則の接合については,ミシェル・ペシュー,バジル・バーンステイン,ラクラウ・ムフなども言及している.


2-3.言表様態の形成/The Formation of Enunciative Modalities
・言表を産出する社会的主体は,言表の根源のように,言説の外側にいて独立して存在するような実体ではなく,対照的に言表それ自体の機能である.
→言表は主体を得意な方法で位置づける.言表として規則を記述することが作者と彼が意識的にせよ無意識的にせよ言うことの間の関係性を分析することにおいて構成されない.位置が個別のものによって占めることができ,占めなければならないことを決定することで構成される(Foucault 1972: 95-6).
→主体と言表の関係性は,「言表様態」の特定の配置を構成するものとして言説形成の特性を通じて精巧になる.

〇言表様態
・言表様態とは,動的な言説のタイプで,それぞれが独自の主体の位置づけと関連をもつ.
→言表様態に向かう形成の諸規則は,諸関係の複雑なまとまりによって特定の言説形成に向かって構成される.
・こうした言表様態の接合は,歴史的特性であり,歴史的な変化に開かれている.
→そうした接合が変容し,変容のメカニズムが社会変動と連関する言説の変化を分析することの重要な要素であることに基づく社会的状況に注目する.
⇒それらさまざまな様態と位置づけは,主体の分散や分裂を明示する.
フーコーの仕事は,近年の社会理論における社会的主体,社会的実践を通じて構築され,再生産され,変容させられるものとしての主体観,分裂されたものとしての主体観の脱中心化に貢献している.

〇社会的主体と言説分析
・社会的主体への言説実践の影響の論点をTODAの中心に理論的かつメソドロジー的に位置づけることで,
→言説における主体性の表現上の理論は,言説を社会的実践の二番目の周辺的な側面とみなすことを許すが,構築主義的理論は認めない.フーコーは,言説形成の影響としての主体は,重要な意味における動的な社会的主体を排除する構造主義的性格を持つ.


2-4 概念の形成/The Formation of Concepts
・1つの学問領域が関心ごとを扱うための装置として使用するような一群のカテゴリー,要素,タイプを意味している.
⇔安定した統一性の概念を定義するわけではない.
フーコーは,概念が出現し流通する「言表の出現領野/field of statements」がどのように組織されているのかという記述を通して,概念形成へアプローチすることを提案した.
→TODAの間テクスト性と間言説性の視野を発展させることに役立つ.

〇言表の出現領野におけるさまざまな関係性
・関係性に関する様々な側面がある.
(1)1つのテクストの言表間の関係性.
・どの言表のかたまりなのかといった様々なレトリカルな図式は,言説形成に依存する形で組み合わされる(テクストの構造を特徴づける記述,推論,定義,がどのように連関しているのか)(Foucault 1972: 57).
(2)間言説的関係性
・種々の言説形成やテクストの関係性に関わる,間言説的関係性がある.間言説的関係性が「存在」,「付随」,「記憶」といった領域に属するのかに従って個別化できる.
フーコーは,「述べられ,言説内に取り込まれ,真実と認められたすべての言説」,そして「批判され,議論され,判断され,廃棄または排除されたすべての言表」として定義する.
・「間テクスト性」と「間言説性」の区別
→「間言説性」は,言説形成間の関係性になる.

〇言表の出現領野
フーコーの「コンテクスト」概念.
→言表の「状況的コンテクスト」(発生した社会的状況)と言表の動的なコンテクスト(ほかの言表との関係性における位置づけ)はどのようにその形式を決定するのか?そしてどのように方法で解釈されるのか?
→発話とその動的かつ状況的なコンテクストの関係性はわかりやすいものではない.言い換えれば,コンテクストは言われ,書かれたことにどのような影響を及ぼすのか,それはどのように解釈されるのかという問題.


2-5.戦略の形成/The Formation of Strateges
・戦略形成の諸規則は,どの可能性が出現するのかを決定する.
→可能な戦略に対する言説と非言説的な制約の組み合わせによって構成される.
→言説の可能な組み合わせは,アナロジーや対立,補足,「相互の限界設定の関係性」を含む.
・非言説的は,言説の「外部」から決定される.
①非言説的実践の領域における言説の機能
②言説の領有の規則とプロセス
→話す権利,理解する能力,すでに定式化された言表のコーパスを引用する権利が,社会集団間で不平等に分配される
③言説との関係における欲求の可能な位置づけ
→言説は空想の表象,象徴の要素,禁止の形式,満足の道具となる.
・戦略形成の諸規則と言表の「物質性」.
→非言説的制約は言表と制度間の関係性を確立するために言及した.言表の物質性によって,フーコーは特定の時間と場所で発話されたものの性質ではなく,特定の制度的実践での特定の状態を持つという事実を意味している.


3.考古学から系譜学へ
〇はじめに
・考古学から系譜学への移行と,それによるフーコーの言説の概念への影響について考察する.
・考古学と系譜学の関係性についてのフーコーの説明.
→「真実」は,言表の産出,制御,分配,循環,作用への規則づけられた手続きのシステムを理解される.「真実」は循環関係における権力を産出し維持するシステム,そして権力が誘発し,権力作用を拡大させるといった効果へと結びついた.つまり真実の「体制/Regime」である.
⇒系譜学は,「権力」を加えた.「真実の諸システムと権力の諸様式との間の相互関係」.
・言説実践への非言説的な領域の関係性は,自律的な言説の諸規則に制御された→言説は権力のシステムに次ぐ.しかし同時に,近代権力の性質は,言説と言葉を社会的実践とプロセスの中心に位置づけている.
→近代権力は日常の社会的実践の中に潜んでいる.「権力の成功は,独自のメカニズムを隠す能力に比例している.」権力は,それに従属する人々を力づくで支配することで抑圧的に作用するのではなく,人々を組み入れ,彼らの必要に合致するために人々を形成し,再編成するという意味で「生産的」である.
・近代権力は,権力と知の2元的な関係性をもつ「微細なテクニック」を秘めた,上からではなく「下から」の発展である.
→一方で,権力のテクニックは社会科学によって生み出されるような知にもとづいて発展し,その一方で,テクニックは知を集合させるプロセスにおいて権力の作用と大きく関係している.
⇒「生権力」.これは「明示的な計算の領域に生活とそのメカニズムをもちこみ,知/権力を人間生活の変化の主体とした」.

・制度や組織を権力の観点で分析することは,言説実践を分析することである.
フーコーの権力観は,社会分析における言説の重要性だけではなく,言説分析における権力の着目でもある.
フーコーの考古学的研究と言語学的言説分析のどちらにも生じていない.「フーコーは,より抽象度の高いレベルので言語-政治の結びつきを取り上げ,人間と集団の間の権力交換を,それらが配置される構造の分析に言語学的に反映することを越えていくことができるもの.
・「手続き」
→誰によって,どんな状況で,何を言うことができるのかを制御する.言説実践へのアクセスの社会的制約.
フーコー1984)は,言説実践の決定を越えて権力闘争を重視する.
→言説は,闘争や支配のシステムを説明するような単純なものではなく,闘争のためのものであり,闘争によるものである.言説は,調整される権力である.

〇言説の次元
・『知の考古学』の言説形成は,特定の領域で特徴づけられていた.
→後期フーコーの言説のカテゴリーは,より「一般的な」性質であった.
Ex)インタビュー,カウンセリング,試験や告白.
→特定の形式で構造化され,特定の参加者が関与する相互作用の様々な形式にポイントを置いていて,様々な領域や制度において使われ,様々な言説形成と互換可能である.この対比は,言説とジャンルの間にあるといわれている.

・権力の主な2つの「テクノロジー」は,「訓練」と「告白」である.
→系譜学では,テクニックは「身体」にどのように作用しているのか,つまり,それらのテクニックは,身体的な性向,ハビトゥス,動きを覆う制御の詳細な一般化の形式にどのような影響を与えているのかについて,分析された.
→規律の近代的なテクノロジーは,「従順しやすい身体」,もしくは経済生産の近代様式の需要に合致した身体と呼ぶものを生み出すために調整される.
・規律は,監獄や学校,工場といった,不断の監視に従属させられる空間に収容者を割りあてるための設計がされている場所で顕著にみられる.
・規律は大衆を操作するためのテクノロジーであるが,それは高度な個人化の方法である.すべての個人を個別化しかつ焦点化する方法であり,一般化の手続きに従属させる方法である.
⇒権力の生産性をめぐる重要点は,規律権力は近代的個人を産出する.

〇試験
・試験は知を引用し,構成することを可能にするような権力関係を実行する.
→3つの区別された性質
①試験は,権力の行使にあたって可視性という経済策を転換する.
②試験は,個人性を記録文書の分野の対象にする.
③試験は,記録作成のすべての技術に守られ助けられることで,それぞれ個人を1つの「事例」に仕立てる.

〇告白
・告白は,人々を主体化するテクニックである.
→自己についての探索と語ることの強制は,生権力を対象化することへの抵抗から解放することの表面に出現してくる.
⇒告白は権力支配により多くの人々を引き込む.
・告白をフーコーは「言説的儀式」と定義した.
→これはTODAではジャンルと呼ぶものに相当する.
・告白は,話す主体もまた言表の主体であるという点,それから告白することと関係する人との権力関係によって定義される.
・試験と告白は言説のジャンルと明確に関連している.
⇒試験と告白は,審問,問診票,催眠において組み合わされている.
・権力の技術は言説のタイプと関連しており,それは社会組織や文化的価値観の形式とも密接に関係している.
⇒試験の客体化するテクニックと告白の主体化のテクニックに対応する客体化と主体化のジャンルであり,一方で官僚的に人々を操作する言説形式と自己を探索し声を与える言説形式は,言説の近代的規則の2つの焦点になる.
・系譜学は,言説実践の歴史的な転換点の分析,社会文化的な変動といったより広範囲のプロセスの関係性を分析するといった本書の関心と関連する.
⇒言説実践の変化は,社会や文化の変動をどのくらいの範囲で構築するのか.単なる言説実践を反映するものなのか.言説実践を変化させることの分析を通じて,変化のより広い範囲のプロセスをどの程度明らかにすることができるのか.そして,しばしば公的な領域における私的な面の非公式な言説実践を装い,新たな言説の技術において制度的な個人を訓練することといった言説実践の変化を設計するための制度的な主体の努力はどの程度広く,どの程度効果的なのかという問題.


4.フーコーとテクスト主義的言説分析
フーコーの考古学には2つ重要な点がある.
①言説の構築的側面
→言説は対象と社会的主体を含む社会を構築する.
②間言説性と間テクスト性の優位
→あらゆる言説実践は,ほかの言説実践との関係性によって定義され,複雑な形でほかの言説実践を引用する.
フーコーの系譜学には3つの重要な点がある.
③権力の言説的性質
→近代的「生権力」 の諸実践と諸技術―examination and confession/「試験」と「告白」―は,言説のレベルに存在する.
④言説の政治的性質
→権力闘争が言説の内部と外部の両方で生じている.
⑤社会変動の言説的性質
→言説実践の変化は社会変動における1つの重要な要素である.
⇒以上はTODAに組み入れ,運用しようとするために,一連の理論的な主張と仮説を構築する.
フーコーをTODAに組み入れるにはある種の困難がある.
⇒本節の目的は,これらの困難さを議論することと,TODAはフーコーに追従すべきではないことを示す.

フーコーとTODAの対照的な点
(1)フーコーの言説分析は,実際のテクストの言説的かつ言語的分析を含まない.
→問題は,アクチュアルな言説の出来事を分析するべきかどうかということにある.アクチュアルな言説的出来事は,テクスト分析の言語学的形式ではなく,①テクスト,②テクストの産出と解釈(どの言説のタイプやジャンルが引き出され,それらがどのように接合しているのかという問題を含む),③言説的「出来事/events」をその社会状況と様々なレベル(状況的,制度的,社会的)での影響という観点で社会的に分析すること,といった3つの側面を分析するものでなければならない.
⇒ほかの分析タイプと一体化したテクスト分析,そして特定の出来事(やテクスト)が分析されるべきかどうかが問題である.

(2)フーコーは権力と抵抗という概念,それから闘争と変化の問題について弱点がある.
フーコーは大多数の人々が権力によって操作されることの拡大を誇張し過ぎた.つまり,フーコーは諸実践の競合,社会勢力同士の闘争,支配的な言説と非言説的なシステムに対抗する被支配集団の可能性,闘争を通じて権力関係内に生じる変化の可能性などを十分に論じていないことが問われている(Lecourt 1972; Macdonell 1986).
フーコーは『知の考古学』で「変化と変換」に1節割り当てているように,この点について無視はしていない.言説形成の諸規則が静的な対象と概念ではなく,それらが変換可能な領域であることを定義することを通じて強調する.そして「主体と権力」(1982) では,闘争の形式について議論している.
⇔権力による不動のシステムに力なく従属する人々という印象.
⇒「反動的言説」と呼ぶものは,19世紀後半,医学と法律の言説によって同性愛者なるものが構築されていく過程で,そうした言説の「反動/reverse」として彼ら自身が自ら蔑称的な同性愛者のアイデンティティを取り込んでいくという意味で使われている.すなわち,言説形成の外側に向かうことのない対抗言説である.

フーコーと実践/practiceの概念
フーコーには「実践」の概念が欠如している.「実践」とは,実際にすること,話すこと,書くことを意味する.
→『知の考古学』では,「言説実践」という概念を使用しているが,それはアクチュアルな実践の基礎となる「諸規則」として定義している.つまり,言説実践とは「匿名の1つのシステムであり,歴史的な諸規則」である(Foucault 1972: 117).
・仮説的だが,構造から実践へ推察することができる,テクストを含む実際の実践を分析することなく実践について結論に達することができるかもしれない.
→実践はかなり画一的であるということ,構造によって決定される実践は可変的ではなく,諸規則が実践において引き出されることの決定は,単純だ.
つまり実践は,
①構造の実行を減少させることはできない.
②構造が実践においてどのように形成されるのかについては,決めてかかることはできないが,決定されなければならない
③諸構造を形成するのに役立つ
といった独自の性質をもつということ.

フーコーと構造/structureの概念
フーコーには構造への十分な検討がされていない.
→「通時的な説明にとって,われわれは行為より言語が有意であるというべきかどうかの問題がある.これは循環的な関係にある.行為や言語の構造は,行為/話すことにおいて継続的に更新されることで維持される.そして行為/話すことにおいてそれらは維持されないこともあり,変化することもある.」(Taylaor 1986: 90).つまり,構造は実践において再生産されるが,変換されることもある.
→構造が実践において再生産され,変換されるのなら,異なる出来事でのアクチュアルな結果を何が決定するのか?何が特定の社会的領域や制度において実践の累積的な結果を決定するのか,そして言説の返還的傾向とは対照的な,そうした再生産における社会的領域や制度間の違いを決定するのか.
⇒構造は,「勢力均衡」といった特定の安定した実践領域における闘争のなかで構造間の関係性の状態によって,再生産されたり変換されたりする.
グラムシヘゲモニー
→構造を重視するフーコーの権力概念より優れている.ヘゲモニーは同盟や下位の階級や集団から合意する世代のうえにたつ不安定な均衡として認識されており,その不安定さは闘争への着目である.
フーコーの実践や変化の詳細なメカニズムを考慮しないのは,構造を変化させる能力を持つことを前提としない「抵抗/resistance」の諸形態以上に,「闘争」を考慮していないことに関係している.
・系譜学における権力の技術は支配と操作の非容疑的な道具として認識されているが,カウンセリングの事例を同時代の社会の告白の一形態として考慮しなければならない.つまり,カウンセリングは,社会における人々の価値観や個人を主張するための技術でもある.

〇政治・イデオロギー的「投資」と言説
・言説の技術的諸価値という概念は,言説内のイデオロギー的闘争のプロセスを考察できる
フーコーイデオロギーの概念とイデオロギー的批判の形式としての分析にも抵抗していた.
相対主義としてのフーコー
→真実は特定の言説形成,権力・知のシステム,と関連し,外側からの批判に開かれていない.
TODAはイデオロギー的批判の1つの形式であり,フーコーイデオロギー概念とは異なる.しかしながら,フーコーと他の人々の批判主義は,おおざっぱなイデオロギーの概念を避けることに注意しなければならないことを意味している.

〇言説の構築性
・対象と社会的主体は言説実践によって形成されているが,言説実践は前構成的な対象と前構成された社会的主体とともに物質的な現実に構成されたところに生じているという事実に制約を受けている.
弁証法的観点から言説の構築的プロセスは見なされるべきでそこでは,言説実践は,前構築的な現実との相互関係がどのようなものかに依存している.

軽くまとめてるけど意味わからんから随時訂正してくんごーーーー