幸福なポジティヴィスト

アイコンの作者忘れてしまいました。

金美恵,2017,「沖縄戦で犠牲となった朝鮮人慰霊碑(塔)・追悼碑に関する研究ノート」

<書誌情報>
金美恵,2017,「沖縄戦で犠牲となった朝鮮人慰霊碑(塔)・追悼碑に関する研究ノート」『地域研究』20: 103-120.

1.本稿の課題
沖縄戦で犠牲となった朝鮮人の慰霊碑(塔)・追悼碑についての調査と考察をまとめている.
沖縄戦では,沖縄住民の被害と合わせ,朝鮮人の犠牲もあった.この犠牲を弔い痛み,記念する日が沖縄県には9か所あることがわかっている.
→慰霊と追悼から「戦争の記憶」についてのアーカイブを構成し,そうした記憶と戦争責任や植民地支配責任との関係性を検討する.

2.調査結果
①白玉之塔:渡嘉敷,1951年,渡嘉敷村遺族会,本土軍人・軍属,防衛隊,住民,慰安婦
渡嘉敷島には慰安所が2か所あり,7名の朝鮮人慰安婦がいたが,そのうちの1人「ハルエ」さんが納められている.「慰安婦」の身の上話を聞いていた女性の申し出によるもの.
②青丘乃塔:宜野湾市,1971,日本民主同志会,首里をめぐる戦闘における朝鮮人軍人
③痛恨之碑:久米島,1974年,沖縄在・在日朝鮮人久米島島民虐殺痛恨乃碑建立実行委員会,日本軍による島民虐殺の犠牲となった7家族20名
→平和ガイドである語り部佐久田勇さんによってこの事件は語り継がれている.
④韓国人慰霊塔:糸満市,1975年,韓国人慰霊塔建立委員会,沖縄に徴兵,徴用された韓国人1万余名
→沖縄での北朝鮮系団体の勢力拡大が懸念され,「北朝鮮の沖縄浸透阻止」を主要目的とした慰霊事業により建立.
⑤平和の礎:糸満市,1995年,沖縄県,「私たち沖縄県民破擦沖縄戦などで尊い命を失ったすべての人々に哀悼の意を表し」
→言わずと知れた「平和の礎」.
アリラン慰霊のモニュメント:渡嘉敷村,1997年,モニュメントをつくる会,「慰安婦」と軍属
慰安婦の慰霊碑が建立されたのは,このモニュメントが全国初.
⑦留魂之碑:石垣市,1998年,太田静男,すべての朝鮮人たちの無縁仏となってしまった魂が留まる場所
八重山で犠牲となった朝鮮人軍夫や「慰安婦」を調査してきた自宅の私有地に建立.
⑧アジア太平洋戦争・沖縄戦被徴発朝鮮半島出身者恨之碑:読谷村,2006年,アジア太平洋戦争・沖縄戦被徴発朝鮮半島出身者恨之碑建立をすすめる会,朝鮮人軍夫
アリランの碑:宮古島,2008年,宮古島に日本「慰安婦」の記念碑を建てる会,「慰安婦
慰安婦の犠牲となった「女たちへ」12の言語で刻まれた.

3.考察
・慰霊碑(塔),追悼碑をめぐる諸活動を記録することで,様々な当時の歴史,人々の思いなどを明らかにすることができる.その点で歴史的史料である.
・建立時期からわかること.
→「復帰」後から旧軍関係者による建碑が最盛期を迎え,英霊をたたえ,ねじれた歴史認識を露わにしている.
・沖縄と植民地責任を考えるアーカイブとなる.