幸福なポジティヴィスト

アイコンの作者忘れてしまいました。

B・S・ターナー,1999,『身体と文化――身体社会学試論』第2章 社会学と身体

<書誌情報>
Bryan S. Turner, 1984, The Body and Society: Explorations in Social Theory, Oxford: B. Blackwell. (=小口信吉(代表)訳,1999,『身体と文化――身体社会学試論』文化書房博文社.)

The Body and Society, Third Edition: Explorations in Social Theory (Published in association with Theory, Culture & Society)

The Body and Society, Third Edition: Explorations in Social Theory (Published in association with Theory, Culture & Society)

目次

序章 身体の逆説
第1章 欲望の様式
第2章 社会学と身体   ⇦いまここ!
第3章 身体と宗教
第4章 身体の秩序
第5章 家父長制――エヴァの身体
第6章 家父長制から男制社会(パトリズム)へ
第7章 規律
第8章 身体の管理
第9章 疾患と障害
第10章 差異の存在論
訳者あとがき
参考文献
事項索引
人名索引


第2章 社会学と身体
1.身体の不在
・現在の社会学(下位領域も含む)は,身体について語らない.
→人間の行動は人間生物学で因果的に説明しうると考えた生物学的主義を拒否するという認識論的根拠に原因がある.社会学の大きな柱は,「自然」では説明できない「社会」現象を解明すること,人間の相互作用の社会的意味を対象とする学問領域である.
⇒人間の経験と意識との限界点である身体は,社会的世界の集合的現実よりも重要とはみなされなかった.そのため,自然―社会ではなく,自我―社会が主たる二分法となった.

2.自我
〇自然科学から社会学
・自然科学のモデルで社会を分析するのではなく,社会的行為と社会的相互作用の意味を「理解する科学」としての社会学(Weber 1978).社会学の対象は,自我とか社会的行為者,または社会的主体のあいだの社会的相互作用における意味と選択の問題である.社会とは,絶え間ない「間(あいだ)」の相互作用の所産である.
・シュッツ(1962)
→共存者との直接的相互作用と先行者・後継者・同時代者との間接的行為を区別.
・象徴的相互作用論
→主我と客我との相互作用による社会的複合体としての自我.主体性の持続は身体の連続性ではなく,記憶と意識の統一に左右されるという従来の精神―身体といった哲学的立場に結合.
・方法論的個人主義の排除
→社会的世界とは個の配置である.
・マクロ社会学
→社会構造と集合体の構造が社会を構成しており,そうした「構造」は個人間の関係性に還元できない自律的なものであると考える.
→社会階級と政治,国家と社会,家族と経済などが主要な論点となり,身体はなじまない.

3.ミシェル・フーコー
・身体は無視されていたのではなく,覆い隠されていたといったほうが正確で,身体社会学は,こうした覆いをはぎ取り,既存の理論を有効活用しながら理論を打ち出し,身体を際立たせていくことが目標.
ミシェル・フーコーの哲学が大いに有効.
フーコーによる権力と身体に関わるマルクス主義イデオロギーと権力の分析の比較
イデオロギーを優先させる方法は,人間主体が権力をうまく利用しようと考える意識の持ち主であるという前提を持っている.しかし,イデオロギーの問題の前に身体の問題と身体に及ぼす権力の効果の問題を究明しないといけん.
→身体を対象とする権力は2つの関連し合う問題系に分けることができる.
→①個々の身体に関わる「解剖-政治学」と,②人口の「生-政治学」に関わる.
⇒科学的対象としての人口は新たな規制と結びついた.個々人の性衝動は,生の管理に向かう権力の新しい対象となった.

この一連の問題の中で,「身体」(個人の身体と人口の身体)は,稀にしかいない人と大勢いる人(中略)との間の,新しい変数の担い手として現れる(ターナー 1984=1999: 38).

フーコーエンゲルスの親和性
フーコーは近代マルクス主義批判ではなく,エンゲルス唯物史観と近い考え.
→身体の唯物論は,労働の発展段階と家族の発展段階を関連させ,身体の規律と人口の規制とを結びつける.
・身体の歴史性
フーコーの基本的功績.

4.精神と肉体