幸福なポジティヴィスト

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ルイ・アルチュセール,1994,『マルクスのために』

<書誌情報>
Louis Althusser, 1965, Pour Marx, Paris: François Maspero.(=1994, 河野健司・田村俶・西川長夫訳『マルクスのために』平凡社.)

マルクスのために (平凡社ライブラリー)

マルクスのために (平凡社ライブラリー)

本書は、1968年に人文書院より刊行された『甦るマルクス』Ⅰ・Ⅱを全面的に改訳し、タイトルを改め、新たなにアルチュセールの未発表論文「批判的・自己批判的ノート――『マルクスのために』と『資本論を読む』の読者に」を収録している。
目次は以下の通り。

今日的時点 序文   ⇦いまここ!
フォイエルバハの『哲学的宣言』
若きマルクスについて――理論上の諸問題
矛盾と重層的決定――探究のためのノート
補遺
「ピッコロ」、ベルトラッチーとブレヒト――唯物論的な演劇にかんする覚書
カール・マルクス『一八四四年の草稿』――経済学・哲学手稿
唯物弁証法について――さまざまな起源の不均等性について
マルクス主義ヒューマニズム
「現実的ヒューマニズム」にかんする補足的な覚書

今日的時点(序文)
 アルチュセールが本書を刊行する理由は3つあって、
①直近の4年間のうちに書いた論文のいくつかは書店で入手できないから。
②そうした諸論文の意味は、それらを合わせた論文全体の中にあるから。
③これらの諸論文をある一つの歴史の資料として提出するため。
このうち注目するのは3つ目で、アルチュセールは自身の論文を歴史的背景と合わせて考察することを目的としている。もちろん所収されている論文は、それぞれ異なった状況で生まれたものであるとはいえ、それらは同時代の歴史の産物でもある。したがって、本書はある年代の、あるマルクス主義哲学者が、歴史の流れに抗い、そこから脱出するために必要不可欠であったマルクスの哲学思想の探求という特異な経験の証言という性格を持ち合わせている。
アルチュセールの生きた歴史。それは政治に関しては、人民戦線とスペイン内戦にはじまり、共産党への結集、党の指導した政治とイデオロギー闘争に至り、大きなストライキと大衆の恣意運動の時代、ストックホルム・アピールと平和運動の時代と記憶される時代であった。また、哲学に関しては、あらゆる過誤を狩り出す武装した知識人の時代、世界を裁断する哲学者の時代である。
一方で、共産党幹部によって古い左翼主義的公式がひとたび宣言されるやいなや、その公式がすべてを支配した。この時の哲学者は強いられた断定を繰り返すか、気兼ねによる沈黙の間の選択肢しか持ち合わせなかった。
アルチュセールは、こうしたエピソードをエピソードのままとどめるのではなく、エピソードを超える考察を試みている。
 振り返るべきは自身の熱狂と確信の年代である。アルチュセールは、多くの時間を闘争に費やし、政治と理論における左翼主義に対するレーニンの歴史的な闘争も知らなかったし、マルクスのテキストの文章そのものを知らず、マルクスイデオロギーの炎を自身の情熱と重ね合わせることに熱心であった。こうした状況は同時代の同志、諸先輩に等しく当てはまっていた。こうして、アルチュセールは長い時間と多くの闘争のなかで磨き上げられたテキストと理論的伝統が空文に等しくなるような事態がどうして起こりえたのかという問題を提起する。
 こうした問いへの足掛かりとして挙げられるのは、ハイネの「ドイツ的貧困」をもじった「フランス的貧困」である。アルチュセールによれば、それは「フランスの労働運動の歴史における理論の現実的研究の打破しがたい根本的な欠如」(p.31)である。ドイツにはマルクスエンゲルスポーランドには、ローザ・ルクセンブルクがいて、ロシアにはプレハーノフとレーニン、イタリアにはラブリオラ、グラムシがいる。そうしたなか、「わが国(フランス―引用者注)の理論化はどこにいるのか?」(p.31)というフランスの理論面における相対的貧困の問題があった。
 こうした事態の本格的説明は行われていないが、2,3の検討が付けられている。第一に各国の知識人労働者の階級的起源である。アルチュセールによれば、19-20世紀初頭の労働運動における理論の伝統は、知識人労働者の役割が決定的に重要であった。理論を打ち立てたのはマルクスエンゲルスという知識人であるし、そうした理論を発展させたのも知識人たちであった。こうした知識人がドイツやポーランドなどに生まれる一方でフランスには生まれなかった原因を、アルチュセールは知識人の階級的起源に求めた。
こうした知識人が生まれた国々では、それぞれの国家に支配的な、社会的、政治的、宗教的、イデオロギー的、道徳諸条件によって知識人の活動が不可能であった。支配階級は知識人の味方ではなかった。したがって、そうした国々の知識人らは、「唯一の革命的な階級である労働者階級の側に立つことによってのみ自由と未来を求めることができた」(p.33)。
 一方で、フランスはブルジョア階級が革命的であり、知識人は未来と活動を保証し栄誉まで与えてくれる彼らの支配下にとどめられていた。こうした状況は、知識人が労働者階級への積極的な帰属を求める欲求を生み出すことなく、また労働者側も知識人を必要としていなかった。
 こうした状況は、そこにフランスの哲学的特性が加わることによって拍車がかかった。アルチュセールによれば、フランスで公認されている哲学は、単に保守的であるばかりか反動的でさえあり、歴史と人民に対する軽蔑、宗教との深い偏狭な結びつき、その他無知蒙昧が支配しており、こうしたフランスの哲学的状況は労働運動における理論の発展に抑圧的に作用したという。