幸福なポジティヴィスト

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津田正太郎「第3講 メディアはナショナリズムを高揚させるのか」『メディアは社会を変えるのか』

<書誌情報>
津田正太郎,2016,「第3講 メディアはナショナリズムを高揚させるのか」『メディアは社会を変えるのか——メディア社会論入門』世界思想社,22-31.

メディアは社会を変えるのか―メディア社会論入門

メディアは社会を変えるのか―メディア社会論入門

1.ナショナリズムとメディアの関係性
・本稿では,ナショナリズムの高揚や停滞にともなう様々な諸問題をメディアの役割と合わせて考える視座を提供することを目的としている.

2.ナショナリズムとはなにか?
ナショナリズムとの対比で用いられる言葉に愛国心がある.ナショナリズムが否定的ニュアンスとして用いられる一方で,愛国心は肯定的なニュアンスで用いられる.しかし,愛と憎しみが表裏一体であること(愛の危険が愛を盛り上げ,憎しみの対象を形成する),立場によって愛国心ナショナリズムに見えることが往々にしてあることを考慮すれば,ナショナリズム愛国心パトリオティズム)を区別し,論じることは有効な手段ではない.
→むしろ肯定される愛国心の下に,ナショナリズムが隠れていることに敏感になるべきだ.愛国心という言表がナショナリズムを表面的には抑圧しながら,ナショナリズムを喚起する戦略として編制されている可能性.

イデオロギーとしてのナショナリズムは,「国益」の実現を求める思想や運動と結びつくいると考えるということ.ただし,国益の定義は固定的ではなく,国家独占する場合もあれば,反体制的な運動でも出現する(リベラル・ナショナリズム).支配体制が反体制的なナショナリズムを危険視すると,国家によるナショナリズムの利用「公定ナショナリズム」が出現する(アンダーソン 2007: 148).

・認識枠組みとしてのナショナリズムは,アンダーソンに代表されるように,見ず知らずの「同胞」の存在を想像することがナショナリズムという主張である.アンダーソンはナショナリズムの出現とマス・メディアの発達を深く結び付けて考察している.アンダーソンの議論は,いわゆる出版資本主義によって国語で書かれたメディアがたくさん売る資本主義と結びつき,大量に出回ることでナショナリズムが出現したといったような説明が有名だが,それは誤読である.ナショナリズムの出現に重要なのは,マス・メディアによってもたらされた「人々の時間や空間に対する意識の変容」である.
 真木悠介が論じたように,過去から未来への線状的なモデルで時間の感覚を理解することは普遍的ではない.対照的な時間の感覚としては,昼と夜,雨季と乾季のようなものがあるだろうし,円環的なものとしては春夏秋冬,農業的な時間の感覚が最たるものである.これらの時間間隔は過去から未来の一方向的不可逆なものではなく,反復されるサイクルとして認識される.
 ところが,新聞のようなマス・メディアは,毎朝決まった時間に届けられ,日付が変わると捨て去られるように,時間が一方向的に進む感覚を広めていくことになった.また.小説でいえば,同じ時間のなかで,複数の人物がそれぞれ出会うことなく描写され,時間の進行とともに物語が進行していく.こうした異なる空間でも同じ時間が一方向的に流れているという感覚を,アンダーソンは「均質的で空虚な時間」とした.こうした時間と空間の感覚の変化が,あったこともない同胞を想像する感覚の出現=ナショナリズムの出現にとって重要だったというわけだ.ただ,マス・メディアはこうした感覚の醸成の一翼を担っていたというだけで,すべてではない.例えばアンダーソンが比較の亡霊と名付けたように.比較によって意識される文明,人種,性別,考え方の差異もナショナリズムの涵養の一翼を担っている.

3.差異の創出——本質的な差異か,つくられた差異か
・本質的な違いがそこにないにもかかわらず,あたかもそうした差異があるかのように,後付けで発見されたりする構築物としての差異が,ナショナリズムと結びついていることがある.
・差異と資本主義
→第5講でも論じられたように,資本主義は情報化と結びつき,たえずほかの記号との差異によって生み出される記号を消費する社会を生みだした.こうしたメカニズムが絶え間ない消費を促したように,ナショナリズムもまた記号としての差異を消費していく中に取り込まれていないのだろうかという論点も重要である.
chanomasaki.hatenablog.com

ナショナリズムの日常性
ナショナリズムが生活に溶け込み,人々に内面化されることで国境線で区分されたり,人種の違いで区分された世界を自明のもとして受け入れているという認識.こうした日常という観点は,我々が日々触れているマス・メディアによってこうした日常のナショナリズムが創出,維持,再生産,または変容されている視座を提供する.とりわけ震災といった非日常的な出来事を日常に復帰させようとするマス・メディアの諸言表には,こうした日常のナショナリズムが反映されるだろうし,天気図が日本に限定されているのも同じ効果を持っているかもしれない.

[参考]
真木悠介,2003,『時間の比較社会学岩波書店

時間の比較社会学 (岩波現代文庫)

時間の比較社会学 (岩波現代文庫)

B. アンダーソン,白井隆・白石さや訳,2007,『定本 想像の共同体——ナショナリズムの起源と流行』書籍工房早山.

定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)

定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)