幸福なポジティヴィスト

アイコンの作者忘れてしまいました。

J. ボードリヤール『消費社会の神話と構造』杉山光信編,1989,『現代社会の名著』より

<書誌情報>
若林幹夫,1989,「ボードリヤール『消費社会の神話と構造』」杉山光信編,1989,『現代社会の名著』中央公論新社,44-56.

現代社会学の名著 (中公新書)

現代社会学の名著 (中公新書)



・「消費」という概念を武器に現代社会の構造やそこでの人々の行為の構造を記述し,分析することを試みるのが「消費社会論」

消費は自然的な欲求からくる行動ではなく,それ自体が何かを意味する行為として,意味のコードや制度,構造の中に組み込まれている.だから,「消費」を考えるということは,消費を社会から取り出すのではなく,それを意味を持った行為としている社会の構造やシステムとの関係で論じなければならない.言い換えれば,「消費」の分析ではなく,「消費社会の構造」の分析である.消費社会で人々のふるまいを意味付けているものが,実は神話であり観念であることを暴露していく.

ショッピングしているとわかるように,モノはただ無秩序に陳列されているわけではない.それらは他のモノとセットとして組み合わされ,他のモノやセットと差異づけられることで,「モノ」そのものの機能とは別の「幸福な暮らし」「あなたらしさ」「一つ上の暮らし」といった意味を示す差異化された一連の記号として,意味として消費されている.われわれはモノを消費しているようで,記号の差異としての意味を消費しているということか.

消費社会の矛盾する2つの側面.
「平等主義の神話」,今日の社会は人々の間の平等と均質化が高度に実現された「豊かな社会」であるという神話=イデオロギー
「構造的な差異化」,教養や良好な環境といった社会的価値の差異を,記号としてのモノの生産と操作を通じて構造的に生み出している.
消費はもはや規範的で,強制的で,制度的なものだ.

平等と差異の矛盾した論理が消費社会の総体的な戦略を基礎づける.
貧困は豊かな社会という平等主義のイデオロギーに吸収される.その一方で,記号化されたものを消費し,それを通じて社会的に差異化されていく.

経済的な差異としての豊かさと貧困から,記号としてのモノを消費を通じて発生する社会的価値の構造的差異の意味作用へと移行している.
計量される豊かさの論理ではなく,神話としての豊かさの論理とは何か.
分析の視点は,「社会的意味を持つものとしてのモノの生産と操作の論理」.
具体的には,
①モノを意味付けるコードに基づいた「コミュニケーション過程」
②コード化されたものの消費によって生み出される「分類と社会的差異化の過程」

「人びとは決してモノ自体を(その使用価値において)消費することはない.——理想的な準拠として捉えられた自己の集団への所属を示すために,あるいはより高い地位の集団を目指して自己の集団から抜け出すために,人びとは自分を他者と区別する記号として(最も広い意味での)モノを常に操作している」

モノを消費することへの欲求も,生産のシステムの存続と拡張の必要に応じたシステムの要素「欲求のシステム」として生み出される.「消費は享受の機能ではなくて生産の機能」

消費による「個性化」.あなたらしさ,本当の自分.これも神話.本質的な個性がないからモノで個性を追いかける.
産業の集中は人々の現実的差異をなくし,均質化する.こうして同時に差異化の支配への道を開くことになった.
人が個性化したから様々に差異化された消費が享受されるのではなく,まず差異化の構造的論理が存在し,この論理が諸個人を「個性化された」ものとして生産するからである.

消費社会によって何が変わったのか.
文化の商品化,商品化されたメッセージ.身体の消費,時間の消費.

根源的疎外の時代
労働や商品関係を通じて自己が自己に対して疎遠になるというような古典的疎外論ではない.すべてが記号に置き換えられた社会では,「自己=主体」という超越性を持つ審級そのものが存在しなくなっているから.