幸福なポジティヴィスト

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小森陽一『天皇の玉音放送』

<書誌>
小森陽一,2003,『天皇玉音放送』五月社.

天皇の玉音放送 (朝日文庫)

天皇の玉音放送 (朝日文庫)


目次
第一章 二十一世紀における歴史認識
第二章 「玉音放送」を読み直す
第三章 マッカーサーヒロヒト
第四章 「人間宣言」というトリック
第五章 戦後体制とは何か
第六章 サンフランシスコ講和条約日米安保体制下における象徴天皇制
終章 我らの戦後
あとがきにかえて

第一章 二一世紀における歴史認識
・本書は昭和天皇の名によって発表された詔勅を中心とした言説そのものの分析をおこなうことを課題としている。言説そのもののふるまい方、その行為遂行性、社会的機能を分析することである。
※本書を一読するとわかるが、天皇の言説と敗戦後の日本人が意識的にせよ無意識的にせよもっている様々な認識との間の奇妙なまでの一致点を見出すことができる。その結果は、昭和天皇ヒロヒトの戦争責任の免責であり、より抽象的には「国体の護持」である。憲法9条にすら見ることができる言説のもつ力を改めて感じる。


第二章 「玉音放送」を読み直す
〇なぜポツダム宣言を黙殺したのか?——ポツダム宣言から原爆投下まで
ヒロヒトソ連仲介の可能性に強く固執しており、陸軍大臣阿南がヒロヒトの意向を口実にして延期を主張し、鈴木貫太郎首相はポツダム宣言を黙殺することになった。ヒロヒト固執したのには次の理由からだ。1つは米英に劣らない国力があり、米英の無条件降伏を退けられる可能性があるからであり、もう1つは中立条約を締結している情義である(『昭和天皇独白録』以下『独白録』と略記する。)。(17)
ソ連仲介に固執した理由は、無条件降伏によって「国体の護持」が不可能になることを恐れていたからである。端的に言って、終戦間際の天皇及びその側近、政府首脳の関心は、国民の犠牲ではなく、「国体の護持」=ヒロヒトの命と三種の神器の守り方の一点である。(20)
三種の神器についての議論がある一方で、それ以外の状況判断は皆無である。したがって、こうした議論に時間をかけたことによって生じた犠牲がヒロシマナガサキ、そしてソ連侵攻による犠牲でもある。ポツダム宣言受諾の遅れの結果生じた犠牲は、国民の生命を無視し、国体護持をめぐる議論をあーでもないこーでもないとしていた結果生じたのである。「ポツダム宣言」13項には「日本政府が直ちに前日本軍隊の無条件降伏を宣言」することを求め、それ「以外の日本国の選択は迅速且完全なる壊滅あるのみとす」と明記されていたことをどれだけ真剣に考えていたのか疑問である。(26-27)
・和平交渉の第一条件は「国体の護持は絶対にして一歩も譲らざること」である。(28)
※国体と国民の命は天秤にかけられたことさえなかった。

昭和天皇ヒロヒトは誰のための涙を流したのか——御前会議から聖断まで
・初期の迫水久常終戦の真相」には、聖断が下ったときの会議場の雰囲気として、会議に出席する男たちが、はらはらと涙を流すシーンが幾度となく繰り返し描写される。しかし、この涙は対外戦争に負けたことのないという神話的歴史認識に基づき、面目をつぶしたことに涙している。「皇祖皇宗」にのみ向けられた涙は、東京空襲、沖縄戦ヒロシマナガサキへの死者に向けられて流された涙ではない。(32)
→例の耐え難きを耐え、忍び難きを忍びのところで偶然にもヒロヒトは声につまり、そこがこの国では繰り返しメディアで反復されてきた。鈴木貫太郎の自伝にはここで陛下が涙を流したことがまたもや登場する。この涙を流す描写は、女に比べてめったに泣かない男が男泣きに泣くのだからそれほど重要な出来事であることを強調するための男性中心主義的な紋切り型の表現でしかない。(40-41)
ポツダム宣言受諾の理由を「独白録」から抜き出してみよう。「当時私の決心は、第一に、このままでは日本民族は滅びてしまう、私は赤子を保護することができない。第二には国体護持の事で木戸も全意見であったが、敵が伊勢湾付近に上陸すれば、伊勢熱田良神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込みが立たない、これでは国体護持は難しい、故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせねばならぬと思った。」(33-34)
→すくなくとも「独白録」上では、まず第一に天皇を支える臣民が滅びることに恐怖した。そして次に固執したのは「国体護持」=三種の神器の移動の余裕が見込めず、その安否が不確かだからである。ヒロシマナガサキの33万の被害ではない。ヒロヒトの心を常に支配していたのは、「ただの器物」である。これほど破壊的な状況にあっても、「三種の神器」という器物の安全しかこの国の大元帥ヒロヒトの関心にはなかったのだ。(34)
→これが一回目の聖断。例の「subject to」をめぐって議論は再燃するのだ。

〇「subject to」になぜ固執したのか——「終戦詔書」をめぐる攻防
・「subject to」が従属するという日本語訳になることからポツダム宣言を拒否する動きが起こった。これに対し「独白録」は自分がリーダーシップを取り最終的にポツダム宣言に踏み切らせたことを強調する。ここには奇しくも、この国の最高責任者としての天皇の姿がくっきり浮かび上がる。やはり国家主権の行使はヒロヒトにあるのだ。(37)
・受諾に踏み切った理由を「独白録」は「ビラが軍隊一般の手に入ると「クーデター」の起こるのは必然である。そこで私は、何をおいても廟議の決定を少しでも早くしなければ……」と記しているように、ヒロヒトは自分をターゲットにしたクーデターに恐怖している。「国体の護持」と言えば国家全体のことのように思えるが、要はそれを体現するヒロヒト自身なのだ。(38-39)
・「終戦詔勅」に関する迫水原案には3つの訂正が入った。その3つ目には、この国が「三種の神器」に固執したことが凝縮されている。
原案「朕は忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し常に神器を奉じて爾臣民と共に在り」。
→石黒農相が「神器とむやみに書けば、占領軍が好奇心や意図をもって神器を詮索するかもしれないから、むしろ削除しよう」と提案。そして阿南陸相は「国体護持」の確実性にこだわり「茲に国体を護持し得て」を加えることを提案。
⇒「朕は茲に国体を護持し得て忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し常に爾臣民と共に在り」となった。このプロセスからわかるのは国民の生命など眼中になく、常に国体=三種の神器を護持し得るかがアジェンダとなるこの国の最高責任者とその側近の姿である。(42-43)