幸福なポジティヴィスト

アイコンの作者忘れてしまいました。

ポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども』

<書誌情報>
Paul E. Willis, 1977, Learning to Labour: How Working Class Kids Get Working Class Jobs, London: Saxon House.(=1985(1996),熊沢誠山田潤訳,『ハマータウンの野郎ども』筑摩書房.)

ハマータウンの野郎ども (ちくま学芸文庫)

ハマータウンの野郎ども (ちくま学芸文庫)


目次

イギリスの中等教育制度(訳者)

序章 「落ちこぼれ」の文化

第一部 生活誌
第一章 対抗文化の諸相
第二章 対抗文化の重層構造
第三章 教室から工場へ

第二部 分析
第四章 洞察の光
第五章 制約の影
第六章 イデオロギーの役割
第七章 文化と再生産の理論のために
第八章 月曜の朝の憂鬱と希望

訳者あとがき
文庫版訳者あとがき
解説(乾彰夫)


序章 「落ちこぼれ」の文化
中産階級の子どもたち、そして労働者階級の子どもたちは、それぞれ自分の属する階級の職務に就くことになる。なぜ自ら進んで階級を再生産するのだろうか。「落ちこぼれ」た労働者階級の子どもたちは、中産階級の劣等性や労働者階級の優等生が残した劣位の職務を、仕方なく選んでいるのではない。「落ちこぼれる」労働者階級の文化は、「ある特定の状況に拘束されながらも、それ独自の運動様式と固有の概念をもち、立身出世して行く人々のことについてもそれ自身の説明原理をそなえている」(15)。
→学校に不満を持つ「落ちこぼれ」の男子生徒たちに、また、これらの若者が労働生活に適応していく様に注目するようになった。
・私の考えによれば、自分の将来を進んで筋肉労働者と位置づけ、現実にも手の労働を選び取る判断が行われるのは、ある特別な環境において、つまり、労働者階級の生徒たちが形成する反学校の文化において、である。(中略)労働階級の生徒たちは、ここで彼らなりの試行錯誤を経ながら、学校を越えて広がる階級文化に連なり、独自の解釈を加えながらもその基本線を継承し発展させる。そしてその導くところに従って、ついにはある特定の職業群を選び取ってゆくのである。(17)

第一部 生活誌
第一章 対抗文化の諸相
1 権威への犯行と権威順応者の排斥
・反学校の文化の内奥から表層まで一貫している特徴は、「権威=当局(オーソリティー)」に対する、類型的でもあれば個性的でもある抜きがたい敵愾心である。(31)
→これから反学校的な男子生徒たちの自称代名詞を借りて、彼らの「野郎ども(the lads)」と呼んでいく。
〇抵抗と優越感
・彼らの攻撃対象は第一に教師だ。
「筆者 教師のことを、みんな敵かなんかのように思っているのかい?
 (だれということなく) そう。そんなとこだ。たいがいはそうだ。」(33)
・そして第二の攻撃対象は、彼らが「耳穴っ子(lobes)」と呼ぶ、学校=教師への順応派の生徒たちだ。
「見落としてはならないのは、〈野郎ども〉が〈耳穴っ子〉を単に排斥するだけではなく、優越感をもって見下していることである。優越を感じる根拠は、〈耳穴っ子〉にはできそうにもないこと、つまり、戯れ、気まま、興奮、要するに「ふざける」ことが、〈野郎ども〉にはできるという自負がある」(39)
→「(不詳)連中は楽しむってことを知らないだろ。
  デレク あんなの最低じゃないか。今もせっせとレポートを書いてるやつがいるよ。五科目でA、一科目でBを取ってるやつだけどさ。」(40)
・そしてもう一つ、性に関する領域において、〈野郎ども〉は〈耳穴っ子〉に優越感を感じる。野郎どもになるための素質はまた、「イカす女を口説く」ために欠かせない素質でもある。

〇記号の差異
・〈野郎ども〉たちは、資本主義的商品でありながら、労働者階級によって一種独特の消費のされ方をする3つの大量消費材をめぐる象徴的な言動を行う。その3つのアイテムとは、衣服、たばこ、酒である。
・抵抗と優越感をこの上なく視覚的に、身についた形で顕示する手段として、衣服は大切なアイテムである。個々の生徒が秩序から「はみ出してゆく」最初の兆しは、みるみるうちに、その服装や髪形が変わっていくことである。
「いま学校で起こっているもめごとの多くが服装をめぐるものであることは決して偶然ではない。それは、部外者には取るにたりない争いにみえるが、当事者である教職員や生徒にとっては、双方ともに自ら仕掛けた、権威をめぐるのっぴきならない攻防戦なのだ。異なる文化がそのようにして日常的に対峙しているのだと言ってもよい。その争いは、もしも徹底的に戦い抜かれるなら、そもそも学校という制度の正当性を問題にしかねない性格を秘めている」(48)
→今日「ブラック校則」という名の下に学校の制服に関する議論が盛んだ。靴下の色から女子生徒の肌着に関することまでなぜ校則という名の下に制限し、生徒に苦痛を与えるのか。くだらないと一蹴する世論も分からなくもないが、服装に関する生徒と教職員の外部からみれば異常なほどの執着は、日本から遠く離れたイギリスの、しかも半世紀前に、ポール・ウィリスによってその自律した文化とした記述されている。
・服装にこだわるのは、抵抗と優越感だけではなく、「異性」をひきつける男性的魅力と、その意味での大人っぽさを獲得する積極的な手段でもある。
⇒「ここに見るように、外的権威への対抗性と内発的な積極性とは重なっているところに、反学校文化の特質がある」(49)そして服装、たばこ、酒に共通するのは、「学校における特殊な意味づけと学校を越えた社会的な意味づけとが結合している。〈野郎ども〉が喫煙にこだわるのは、それが学校への不服従を表す行為であるからだが、その行為に大人の世界の価値観と行動様式を重ねて見ているからである。大人の世界、とりわけ、成人した男性労働者の世界、それが〈野郎ども〉が反抗し結束するときの準拠すべきものなのである」(52)