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『世界』研究#3 1994年(592-602)の『世界』

<プロジェクト1>「綜合雑誌『世界』における「慰安婦」問題の言説と表象——「八・一五」記憶のメディアは「慰安婦」問題をどのように報じたのか」(略称『世界』研究)
リサーチ・クエスチョンは準備中

『世界』研究#3 1994年(592-602)の『世界』

1994年1月(590)号

◆角田房子「日韓慶州会談に思う」(282-283)
・また彼は「戦後補償を見直す考えはない」と語って失望の声を向けられもしたが、私はこれをも“賢明”と受けとめた。一般に補償といえば慰安婦問題ばかりが語られるが、その他にも多くの国の人々が種々の理由で補償を要求している。首相はうかつに“補償”を口にすべきではないし、また他国への影響ばかりでなく、国内にも多くの困難がある。首相は数多い困難をたくみにかわしながら柔軟に泳ぎ、筋の通った要求には日本の誠意が伝わる方法で応じていただきたい。“侵略戦争一本槍”で押し通しては各所に摩擦が起こり、日本の反省を実質化する道をふさがれる怖れもある。

1994年2月(591)号

◆読者談話室
〇金炳洙「朝鮮文化財を返還せよ」
・その植民地政策において、欧州の帝国主義は(中略)「内鮮一体」というスローガンの下、韓国語を抹殺し、創氏改名を行い、徴用、徴兵し、女子挺身隊らを太平洋戦争の犠牲者にしたのであった。

〇徳嵩力
・細川内閣はこの際、出陣学徒たちの払った犠牲香具師は、また交戦国の幾千万の人々の苦痛や存在と憑依の関係にあったことに思いをいたし、支払いズム戦後補償約七千億の従来の法的立場は堅持しつつも、強く補償を求められている人道上の案件などについては、財政的痛みを伴っても誠意をもって対応して、アジア諸国の信頼関係を回復していただきたい。

日高六郎「平和意識と『平和』政策」(54-66)
・国会決議ができるかどうか。私は決して楽観しません。韓国での細川氏発言の「慰安婦」とか「強制連行」とかいう言葉を省略して紹介したような外務官僚的発想が根強いのです。

田中宏「日本は戦争責任にどう対してきたか」(122-132)
・東西対立が崩れる中、九十年代に入ると、日本の戦争についての戦後責任、戦後補償を追及する声が、アジア各地から、さらには欧米からも相次いでいる。「軍隊慰安婦」問題は象徴的なものの1つであり、その多くは朝鮮人であったようだが、台湾、中国、フィリピン、さらにはオランダ人の女性も含まれていた。
・日本と朝鮮(韓国)との関係
日本政府も、すでに解決済みとしつつも、サハリン残留韓国人問題についてとりあえず四億円を拠出し、今後も追加すべき施策を検討している。また在韓被爆者問題についても四十億円を拠出した。さらにその後判明した「軍隊慰安婦」について、“補償にかわる何らかの措置”を検討しているといわれるのも同様なものと考えられる。
・また、強制労働禁止条約(一九三〇)、醜業婦売買禁止条約(一九一〇)との関係も出てきそうである。国連人権委は日本の軍隊慰安婦、強制連行に強い関心を寄せている。慰安婦については、日本の陸刑法及び海軍刑法が一九四二年に強姦及び強姦致死傷罪を新設したところを見ると、当事者の目にも余るものがあったのである。

清水正義「戦後補償の国際比較」
・この日系人補償問題は(中略)それでも五十年以上前の政府による不当な会う会に対する謝罪と補償という決定は、今日の従軍慰安婦問題をはじめとする日本の戦後補償問題を考える場合には、極めて示唆的だ。

◆(協力)林博史「各国・地域の戦争被害についての解説 日本は何をしたか、何を訴えられているか」
〇高崎宗司 韓国・北朝鮮
・有無を言わさず連行したり、だまして連れ出したりして「軍慰安婦」にした人の数は、吉見義明によれば、十五万五〇〇〇人から二十万一〇〇〇人と推定される。(『従軍慰安婦資料集』大槻書店、一九九二年)。死亡率を軍人・軍属並みの約九・二%とすると、死亡者は1万四〇〇〇人から一万八〇〇〇人と推定される。大半が朝鮮人であったと思われる。
姫田光義 中国(台湾)
・第三期は一九四一年から四五年の日本の敗戦までである。この期間、台湾人の記録によれば犠牲者は約四百人となっている(史明『台湾人四百年史』ほか)。そのうちの多数が特高警察による尋問中の脂肪や獄死であることが目立つが、それよりもこの時期の特徴は、いうまでもなく日本の侵略戦争にかりたてられて犠牲となった軍人・軍属・軍夫や「従軍慰安婦」である。(中略)以上を単純に合計すると、台湾の犠牲者は七万八〇〇〇人におよぶ。しかしこの中には日本内地や朝鮮以上に厳しい警察権力の下で、虐待されて病死したり、健康を害して戦後に死亡したり、強制労働で日本に送りこまれて死亡した人々や「従軍慰安婦」などで死亡したものの数は入っていない(保坂治男『台湾的少年工——望郷のハンマー』)

台湾での賠償要求の今後 日本弁護士連合会が開いたシンポジウムによれば、今後は元軍人・軍属の私娼への補償だけではなく、「従軍慰安婦」、未払い給与、軍票、軍事郵便貯金、無記名国庫債券、戦時貯蓄債券、BC級戦犯などなどの問題が残されているといえる。
〇林博文 マレーシア・シンガポール
・日本軍はマレー作戦中から慰安所の設置をはじめ、一九四二年三月~四月には日本軍の駐屯地に慰安所が次々に開設されていった。一部は朝鮮から連行してきたが、多くはマラヤの中国系女性を集めて慰安婦にした。ほかにもマレー人、インド人、ジャワ人、ユーラシアン(欧亜混血)なども慰安婦にされた。
 元日本人娼婦(いわゆるからゆきさん)に慰安婦集めを委託したり、地元住民組織の幹部に強制して集めさせたりしたケースが報告されている。また最近、マレーシアの与党統一マレー人国民組織青年部などの調査により八枚の元慰安婦が確認され証言を始めた。彼女らの証言によると家にいたところを日本兵によって拉致され、強姦されたうえで慰安婦にされたことが分かり、こうした暴力的な方法がとられたことが分かってきている。
村井吉敬 インドネシア
・民間からの訴え これまでインドネシア側からの補償要求は元兵補から出されるだけである。しかし、膨大な数のロムーシャ、慰安婦たちからも補償請求の声があがってくる可能性がある。
九二年六月七日 インドネシアの新聞、雑誌で従軍慰安婦問題を大々的に報道、中部ジャワで慰安婦一人が名乗り出る。
九三年八月一三日 人権団体LBH(法律扶助協会)、慰安婦一〇六人が名乗り出ている。
・「現地自活」は慰安婦の駆り立てにも適用され、多数の女性が日本軍の慰安婦にさせられた。
・また、非常に多くのインドネシア女性が軍慰安婦にさせられている。ごくわずかの女性のみがのりをあげ始めているが、その全体像はまだ明らかになっていない。
〇中野聡 フィリピン
・交渉当初は十明損害が賠償請求総額の積算の基礎に含まれていたにもかかわらず、被災者・遺族に対する個人補償は行われなかった。このためフィリピンでは、従軍慰安婦問題と並んで残虐行為に対する個人補償請求の声があがっている。
・民間からの訴え
九三年四月・八月 従軍慰安婦訴訟——日本の裁判所に提訴された元慰安婦訴訟としては、韓国に続く提訴。フィリピン各地に設営された軍管理慰安所では、日本・朝鮮・台湾人とともに多くのフィリピン人女性が働かされたが、フィリピンの市民運動組織と日本人弁護団による現地調査の結果、強制連行・拘禁により慰安婦にされた事例が明らかになった。
〇吉沢南 ベトナム
「進駐」時準備された慰安所
小菅信子
・ちなみにインドネシア(オランダ領東インド)では、九万九八三〇(うち婦女子は約六万五七〇〇)のオランダ人民間人が日本軍に抑留され、うち一万二五四二が死亡した。未婚女性のなかには慰安婦として売春を強制された者もいた。

井出孫六「道徳的尊厳とは何か——日本国憲法を読むことの苦痛」
従軍慰安婦をはじめとして、人道にもとる数々の戦争犯罪が放置されえてきた現実が明るみに出てきたことを思うと、私は日本国憲法を読む事の苦痛を覚えずにはいられないのである。

◆荒井信一「戦争責任とは何か——迫られる二つの戦後処理」

◆戦争責任・謝罪の国会特別決議と戦後補償問題調査特別委員会の設置を求める要望書(衆参議長宛)
・(2)国会内或いは内閣直属の機関として、戦後補償問題調査特別委員会を設置し、侵略戦争によって近隣諸国民が被ったさまざまな被害——南京大虐殺、中国・朝鮮人強制連行、従軍慰安婦など——の実態と未処理の戦後補償問題について、現地及び国内において徹底して調査し、その結果を公表し、責任の所在を明確にすること。

1994年3月(592)号
1994年4月臨時増刊号(593)号 「キーワード 戦後日本政治50年」

佐々木隆爾「日韓条約
・正常化の要件としては、本来、1910年8月から36年間にわたった日本の朝鮮に対する植民地支配の責任と、第二次大戦の日本側の戦争責任のふたつの問題を生産するという課題があったはずであるが、条約のための交渉ではこれらが明確に決着させられず、そのため、今日なお戦時中の朝鮮人強制連行や従軍慰安婦に関する補償問題が法廷で争われているのである。

佐藤健生「戦後補償」
・最近のいわゆる「慰安婦」問題を頂点とする戦後補償をめぐる論議の中で、日本の人々の間で「今ごろなぜ」という素朴な疑問がしばしば発せられた。それは、これまで五十年近くも手付かずの状態で残されてきた先の戦争の後始末の存在自体に、五十年近くもの間、気づかずに、何もしないできた日本の人々の責任(「戦後責任」)が問われていることを示しているのである。

◆江橋崇「外国人参政権
・第一にこれは一種の戦後責任問題である(中略)例えば、従軍慰安婦問題を例にして考えてみよう。これについては、ごく最近まで、一部の歴史研究者や運動家が口にするだけであった。しかし、戦後責任の追及の最大の障がいであった東西冷戦構造がとめて、アメリカ、ロシア、ドイツなどでの現実的な対処が進んでみると、こと非現実的な問題として処理してきた日本の政治こそが、非現実的で、結局は、問題の現実性を認めて、実際に対処せざるを得ない現実であることが分かってきた。

1994年4月(594)号
◆伊藤孝司「韓国人元『従軍慰安婦』たちの焦り」
・日本軍によって性奴隷にされた、いわゆる「従軍慰安婦」と呼ばれている女性たち
・挺対協と遺族会の活動を批判する形で被害者自身の団体として立ち上げられた「現生存強制軍隊慰安婦被害者対策協議会」の会員四名による抗議。
・ところが「被害者対策協議会」は、このような「挺対協」の運動をことごとく否定する主張をしている。日本政府に対して、責任者処罰やこれ以上の真相究明を求めず、補償でなくても「慰労金」という形での支払いで良いとしているのだ。つまり、「挺対協」の運動や裁判の結果を待っていたら、自分たちは死んでしまうので、日本政府と妥協しててでも生きているうちにお金が欲しいというのである。名乗り出た「仲間」の被害者たちが次々と亡くなっていく中で、焦りを募らせた被害者たちは、孤立した中で「暴走」を始めたといえよう。

1994年5月(595)号
1994年6月(596)号
1994年7月(597)号

坂本義和「平和主義の逆説と構想」
・なぜ自衛隊ないし軍隊とは別な組織を私が主張するか。その理由は二つある。1つは、日本に特有の理由である。いうまでもなく、自衛隊の海外派兵については、憲法上の疑義がある半面、ここに述べたような別組織には、そうした問題はない。しかし私にとって最も重要な理由は、日本の憲法ではなく、特にアジアの人々に対する日本の戦争責任である。細川前首相は謝罪の言葉を述べたが、実際の補償がなされたわけではない。では補償をすればそれで終わるのか。いわゆる「従軍慰安婦」として犠牲になった人の声として、「私の求めているのは補償ではない。私の一生をかえしてほしいのだ」という言葉を耳にしたことがある。私はこの言葉の前に、たじろがざるをえなかった。日本の憲法をどう解釈し、護持し、あるいは改定するかは、日本国民が決めることができる。しかし、こうした声に対して、日本人は何ができるのか。私達が何をしようとも償いえない傷、しかもその傷を負った死者と生存者が無数にいるという動かしがたい現実を目にして、自衛隊の海外派兵を控えるのは、あまりに当然のことであろう。

1994年8月(598)号

◆松尾康憲「50年目の清算?——台湾住民への『確定債務』」
・日本と台湾の間に国交がないこともあって、戦後処理はまともに行われておらず、そのため台湾住民に、ツケが回された格好になっている。台湾の確定債務問題の今後の進展は、アジア各国で問い直されている従軍慰安婦軍票などをめぐる「民間補償」要求の動きにも、何らかの影響を与えそうだ。
〇台・朱鳳芝 慰安婦問題についても韓国とは(交渉)しているのに……。
〇台・呂秀蓮 慰安婦問題の解決につながらないのであれば、国連に提起することも……。
〇日・井上 慰安婦問題では韓国についてもまだ処理に至っていない。中国の圧力は考慮していない。過去にはあったが、いまは(圧力を)受けていない。
・議論からもうかがえるように、台湾在住の間には軍票、マルク債、従軍慰安婦問題などで日本の責任を問う声もあり、中華人民共和国との関係がらみで日本の姿勢への不満もある。

朴慶南「連載―20 キョンナムのおしゃべり箱 帯にまつわる哀しい話」
名護屋は秀吉軍の本営が置かれていた地でもある。女性たちはここで大きな建物の中に入れられ、男たちの慰みものとされた。「えっ、そんな昔から日本人は朝鮮女性を“従軍慰安婦”にしてたんですか!」永さんの話のこのくだりでは、思わず声を張り上げてしまった。

・戦後半世紀という歳月の経過は、戦争を生きた人たちにとって残された時間がますます少なくなってきている。(中略)中国残留婦人、従軍慰安婦、シベリア抑留者問題などについても同様だ。

1994年9月(599)号

◆西野瑠美子「七三一部隊——歴史は継承されないのか 元部隊員たちをたずねて」
・まんじゅ検査
七三一部隊第一部研究班のなかには、性病の研究にかかわっている班もあった。結核研究を主な任務とした二木班である。その班からの依頼で、彼は慰安婦の性病検診を行った際、梅毒の女性の血液を採取して部隊に持ち帰ったこともあった。「わしらは、慰安婦のまんじゅ検査のことを『防疫検査』と言っておりましたがね。検黴検査のことですわ。どこそこの何号慰安所へ行けというように指定される。わしらはたいした器具は使わなかった。四つん這いにさせて腰を上げさせて調べるんさ。多い日には、一日に一八〇人を検査したことがある。梅毒にかかっとる女のまんじゅは腫れておってな。いやぁ、一回ひどい目にあったことがある。調べておったら膿がパァーっと飛んできてな、わしの顔にかかって。わしらの目的は、感染しとる女の血液を採取して部隊に持ち帰ることだった。その女の名前を書いて持って帰った。部隊に帰ると何度も梅毒か調べた。一騎二期というようにな。だがわしは、「慰安婦」そのものを連れて行ったことはないでな」
◆坂本龍彦「祖国喪失——五十年目の夏」
ソ連軍兵士の笑い声も聞こえるトラックから暴行された日本人少女がほうり出され引かれるのを目撃した。私は助けることもできない。
◆富沢よし子「世界の潮 チマ・チョゴリを晴れやかに——日本社会の差別の土壌を掘りくずす」
・「慰安婦」研究者と共同で。
安江良介武者小路公秀「対談 朝鮮を見る眼と日本——金日成主席の死をどう受けとめたか」
・安江 これまで日本は、アメリカの冷戦政策の上にのっかってきただけで、主体的な朝鮮政策はもっていない。しかも、植民地支配の清算を済ませていない北朝鮮だけではなくて、すでに戦後処理をしたはずの韓国やインドネシアに値しても、ふぃりいんやタイ、ベトナムに対しても、そのすべてが米国の冷戦政策の要請に従って賠償を払っただけのことです。依然として慰安婦の問題などが噴き出てくるのは当たり前なのです。もうそろそろ日本はアジアに対して自前の責任を果たすべき時に来ているんじゃないでしょうか。
・武者小路 それからもう一つ、昨年六月のウィーン世界人権会議での従軍慰安婦問題についてのNGO活動で非常に印象的であったのは、人権の問題で北朝鮮と韓国が共同行動をとったということです。日本を相手にして共同行動が続くのは日本にとってはあまりいいことではナイナかもしれないので、過去の侵略の問題を手がかりにして、むしろ日本側も進んで真摯な態度で補償などを考える。そう言う中で朝・韓・日の共通の土壌をつくっていくべきです。

1994年10月(600)号

上野千鶴子「『進歩と開発』という名の暴力——『壁』のあとの出会い」
・沖縄では、第二次世界大戦の戦跡をたずね、基地買春や「従軍慰安婦」の問題を討議してもらった。
・▽「環境」
なぜ、いま「女性・環境・平和」か?この三題噺のなかには、どんなものでも入るように見える。各地で行われた講演、シンポジウムのたぐいも、被爆から湖汚染まで、レイプ・キャンプから「従軍慰安婦」まで、さらに不払い労働から「持続可能な社会」まで、ばらばらで思い付き的に見えるかもしれない。だが、この過程を通じて、参加者と企画者の双方に見えてきたのは、この三つのテーマをめぐる、驚くべき問題の構造的な同一性と一貫性だった。
・▽平和
第二に、戦争は女性に対する直接的な暴力の行使である。(中略)そしてその攻撃的な「男性性」の証明のために、女性は単に非戦闘員として殺されるだけではなく、性的な侵略の対象となる。彦坂諦は『男性神話』のなかで、「従軍慰安婦」を犯した旧日本軍兵士たちは、性欲からではなく、抑圧の移譲と攻撃性の連帯のために犠牲者を必要とした、と証言する。それは多くの強姦者たちが、性欲からそうするのではないことと符合した事実である。女性に対する戦争暴力の行使が、決して過去のものでないことを、旧ユーゴスラヴィアの内戦は、レイプ・キャンプというおぞましい姿で明らかにした。
・(難民センターさえも国籍と民族に分断されている状況を受けて、)この問題を「従軍慰安婦」問題や基地買春の問題とつなげたいと思ったのは、次に様な理由からである。第一に、戦争遂行に伴う性犯罪、性暴力は決して過去のものになっていないこと、特に「従軍慰安婦」の問題は被害者に何の公式謝罪も個人補償も成されていない点で、戦後五〇年を迎えようとする今日なお、現在進行形の問題である、という認識からである。第二に、強制によろうが金銭による誘導によろうが、「買春」が性犯罪であることに変わりはなく、女性の人権侵害の事実に違いはない。この立場を明らかにすることによって、外国人「従軍慰安婦」と、潜在しているであろう日本人「従軍慰安婦」との間の分断を越えたいと考えたからである。勇気をもって自ら名乗りを上げた韓国やフィリピンの被害者たちに対し、元日本人「従軍慰安婦」たちの沈黙は、それ自体が日本の抱えた巨大な家父長制の暗部である。そしてその問題をさらに今日もアジア各地で続く基地買春の問題につなげることで、女性に与えられた戦争暴力の被害を、国と国の家父長制相互の争いの道具にされることから救いたいと考えた。その背後には、フェミニズムナショナリズムによる回収からどう擁護するか、という巨大な問題が横たわっている。

1994年11月(601)号
1994年12月(602)号

朴慶南「連載—24 キョンナムのおしゃべり箱 時の流れに負けないで」
・つらい立場、思いをもつ人へ繋がっていく感受性を第一に大切にしたい。在日でただ一人、“従軍慰安婦”だったとして名乗り出た宋神道さんのお話を聞く機会があった。日本の軍人の暴行で片耳は聞こえず、創さんの背中には刀で切り付けられた傷跡まで残っているという。想像を絶する過酷な体験を強いられた宋さんは、しかし、日本兵の所業を詳しく知りたいと質問する人に、こうキッパリと言い放った。
「日本の兵隊サンだって可哀そうなもんさ。誰が好きで戦争をするってさ。父チャン母チャン、嫁さんや子ども、好きな人がみんないるんだよ。なのに別れさせられて、知らねえところ連れてこられんだから。国へみんな帰りたいさ。それなのに、殺したり殺されたりばっかりで、死ぬしかねえんだもの、頭もヘンになるさ。誰も死にてえやつなんか,いないべさ。俺と同じように兵隊も戦争の犠牲者だって。なんたって戦争がいちばんいけねえ。戦争をもう二度と起こさないということ、これだけでオレの気持ちいっぱいなんだ……」
LEMS ON THE WORLD「元『従軍慰安婦』たちの訴え」
・韓国の既存の組織を離れ、「被害者の会」を結成した。「被害者の会」の主な要求は、村山首相、河野外務大臣は被害者たちとの交渉に直ちに応じること。また、「補償に代わる措置」としての「平和友好交流計画」や、補償を民間からの「善意」の募金で賄おうとする「民間募金構想」の撤回、政府がすべての元「従軍慰安婦」たちと協議する場を設けること、そして、日本政府は一日も早く被害者たちに直接謝罪し、それに伴う補償をすること、など六項目にわたっている。
・朴壽南さんは、「『従軍慰安婦』は、戦場に連れて行かれた『公娼』ではなく、国家による組織的な性暴力の被害者です。日本政府はあの戦争が侵略戦争であった事を認め、謝罪をして彼女らの名誉を回復するとともに、民間の募金などではなく、国家として彼女たちへの個人補償をするべきです」という。
◆世界に見える日本の姿 白楽晴「相互問題としての日本と朝鮮」
・日本の植民地主義のもとで朝鮮人が苦しんできた悪業に関して不満を述べることが、本稿の主題ではない。日本の侵略戦争中、強制的に募集され日本兵の性奴隷にされた“慰安婦”に関して細菌暴露された問題が私たちに再び切実に思い起こさせたように、日本への不満は真実であり、日本の罪は計り知れないほど大きい。しかしそのような過ちに関する重要な問題は、日本人が自分たち地震の歴史について、そして日本がその責任を取るうえで率直かつ首尾一貫した政府をもつべき必要性について、国民を教育するために、それらの過ちを素材として利用すべきだということである。