幸福なポジティヴィスト

アイコンの作者忘れてしまいました。

R,Shilverstone, 1999, Why Study the Media?

本シリーズで取り上げるのは、ロジャー・シルバーストーンが1999年にだした
Why Study the Media?である。

Why Study the Media?
Silverstone
Sage Publications, Incorporated
1999-12-13



本書は邦訳もされており、邦題は『なぜメディア研究か』となっている。




第一回目となる本稿では、この2つのタイトルの違いについて考えてみたい。

どういうことか。

上記でもあげたように、原題は「Why Study the Media?」である。一方の邦題は『なぜメディア研究か』である。この一見同じタイトルだが、この違いに厳密になってみようということが本稿の課題である。

原題を素直に訳すと、「なぜメディアを研究するのか?」もしくは、「なぜメディアを勉強するのか?」というふうに訳せるはずである。
しかし、邦題は「なぜメディア研究か」とメディアと研究を区切っていない。ここには、訳者である吉見俊哉、伊藤守、土橋臣吾先生らの気持ちが読み取れなくもない。

パッと見た感じだが、

・邦題のほうでは「メディア研究」という学問領域が強く意識されているのではないか

つまり、原題は「メディア」を研究することの理由・動機、そして、メディアを研究することで、この世界はどのように理解できるのか、そしてどのような諸問題を明らかにできるのかということに重点が置かれているように見える。

一方で、邦題は「メディア研究」という学問領域が強く意識されており、「メディア研究」とは何なのか、何を明らかにする学問なのかということに重点が置かれ、「メディア研究」への誘いも目的にしているように受け取れる。

「訳者あとがき」でも言及されているが、「メディアについて学ぼうとする人々が増えている。」

私が所属している法政大学大学院では、「社会学研究科社会学専攻メディアコース」を設置しており、社会人の人も学びやすいように、講義は主に平日の夜と土曜日に行われる。
学部には「メディア社会学科」的なものがあるらしく、学部出身の院生に聞くと、「メディ社」といわれているらしい。
こうした類にの学部・学科・専攻は旧帝や各県国公立より私立のほうが充実しているイメージがあるのだがどうだろう。。。

そうした国内のメディア研究需要に対応してか、メディア研究/メディア・スタディーズと題する著作も多い。吉見俊哉、伊藤守はこうした著作を多く手掛けている研究者の代表といえる。日本のメディア研究/メディア・スタディーズが少しずつ新たな興味深い学問領域として注目され、それなりに定着してきたことのあらわれであろう。

邦題はこうした国内状況を少なからず反映したものとなっているのではないだろうか。

邪推だが,邦訳からは「メディア研究」という1つのディシプリンを探求する重要性が主張されているように感じる.いまでこそメディア・スタディーズやメディア研究というジャンルが定着しているが,日本でまだメディア研究がなじみのなかった時代に,その重要性を主張したい訳者らの思いが個の邦訳に反映されたのではないか.




しかし。しかしだ。

自律的な学問領域となることで、様々な方法論が洗練され、独自の研究成果を上げていき、なによりもそうした学問に興味を持つ未来ある学生の参加を促すことができる。

しかし、一方で自律的な学問領域はしばしば窮屈になりやすい。

本来は学際的な研究領域であるはずのメディア研究が、「メディア研究」に囚われてしまい、メディア研究という囲いの中に安住を求め、自らの自由を制約していしまう可能性もあるのだ。

例えば、政治学は昔から政治コミュニケーションという領域を確立させてきた。彼らの領域から優れた「メディア研究」の成果が提出される一方で、メディア研究の側から優れた研究はどれだけで出ているのだろうか。

これは問いであって、事実ではない。

しかし、問題はこういうところにある。
ノマド」的研究領域は、モンゴル帝国のように一度は世界を覆うかもしれないが、次第に「定住者」の底力に負けていくのではないだろうか。


本書を読むことで、「メディア」を研究することは一体どういうことなのか。
こうしたことを今一度正面から見つめなおしていきたい。