幸福なポジティヴィスト

アイコンの作者忘れてしまいました。

B・Andersonの『想像の共同体』

本シリーズは、ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」の議論を取り上げる。

「想像の共同体」という概念は、公務員試験でも取り上げられ、すでに「教養」となりつつある。

しかし、一般的に「想像の共同体」という言葉が非常にキャッチ―なフレーズであったためか、乱用されているのもまた事実である。

すなわち、「国民」は想像されたものである。そのプロセスは、想像を可能にしたのは新聞や小説といったメディアが出版資本主義の下広くいきわたることによって、国民に関する「情報」が流布され、人々はメディアを通じてもたらされる想像された「国民」に関連する情報を手に入れることで、国民なるものが想像された。

といったたぐいの理解である。

もちろん、「国民」は想像されたものである。しかし、その起源とプロセスをあまりに無視した形で、すぐに「出版資本主義/print capitalism」を持ち出して論じるのは、本書の重厚な内容と釣り合わない。


そこで本シリーズでは、「想像の共同体」論を「認識と存在を可能にする技術と制度としてのメディア」というメディア論の立場から、もう一度じっくり読み直してみようと思う。
その読書記録をここに記す。


邦訳は、ベネディクト・アンダーソン白石隆・白石さや訳,2007,『想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』書籍工房早山


英語版は、Benedict, Anderson, [1983][1991][2006], 2016, IMAGINED COMMUNITIES: Reflections on the Origin and Spread of Nationalism, Lomdon: Verso


を使う。

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