幸福なポジティヴィスト

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ニック・クドリー『メディア・社会・世界——デジタルメディアと社会理論』

<書誌>
ニック・クドリー,山腰修三監訳,2018,『メディア・社会・世界——デジタルメディアと社会理論』慶応義塾大学出版会.

メディア・社会・世界:デジタルメディアと社会理論

メディア・社会・世界:デジタルメディアと社会理論


目次
はじめに

第一章 デジタルメディアと社会理論

第二章 実践としてのメディア

第三章 儀礼および社会的形式としてのメディア

第四章 メディアと社会的なものの隠された形成

第五章 ネットワーク社会におけるネットワーク化された政治

第六章 メディアと変容する資本・権威

第七章 複数のメディア文化――拡がる世界

第八章 メディアの倫理、メディアの正義


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第三章 儀礼および社会的形式としてのメディア

社会的秩序を安定・維持するために、カテゴリーという概念は重要である(デュルケーム)。特定の諸実践が権力の全般的な諸相の中に押し込まれ、あるいはそうした権力を再生産するうえで、カテゴリーは主要な手段となる。どのカテゴリーを選択し、どれを犠牲にするのかというときの尺度となる「社会的価値」をめぐっては包括的な合意など存在せずに、社会的生活の領域において価値をめぐる競合を行う、複数の正当化のレジームがある(ボルタンスキーとテヴノー)。こうした複数の正当化のレジームの競合は、いずれかのものが「もっとも偉大な正統性」を有することで解決される。こうした正統化に向けたメディア制度の役割は重要である。

現代社会の価値の多元性にもかかわらず、そこから秩序化へと向かう過程があり、そこでのメディア制度の機能を分析する。そして秩序化とはカテゴリー化(類型化)の上に成り立っており、この類型化作用におけるメディア制度の役割について理解する必要がある。

メディア儀礼とは、メディアによって媒介された中心の神話と結びつくカテゴリーの区分や教会を強化うするような行為の凝集した形式である。メディアは「中心」を表象し、フレーム化することを「自然」な役割として持つ。

たぶん本書の中で一番難しい。より入念な議論の整理をしないとわけわからん。


第六章 メディアと変容する資本・権威
〇本章の問い
メディアが社会的なものの空間にいかなる影響を及ぼしているのか。
援用する概念は、ブルデューの「界(場)/field」
→社会的空間と価値の多元性を含意することができる。複数の自律的な界が資本をめぐる競合をする社会を想定できる。

〇メディア化
メディア化とは、メディアおよびその論理に社会に従属し、依存する程度が増加する過程。
メディア化を複数を架橋する概念、メタ資本として想定できる。
多くの界がメディアに関連する資本の形態に依存しながら機能している。
政治界、教育界、、、

政治界においてメディア界との相互依存はますます強いものになっており、メディアの論理に回収される政治実践が内在化されている。

第七章 複数のメディア化——拡がる世界
社会志向のメディア理論という立脚点から、ナショナルな境界を越えた複数のメディア文化という概念を発展できる。

諸文化の固有の形態は、人間の様々な基本的ニーズの力学によって形成されるということを私は論じるつもりである。(260)


→メディアに関わる生活形態の大部分がニーズによって形成されるのと同様に、メディア文化もまたニーズによって構成される。メディア研究は歴史的に概して国民国家を単位としてきたがゆえに、私の選ぶ事例もほとんどの場合に特定の国民国家について言及することになってしまうことは避けられない。しかし、のちに明らかにするように、私の比較の枠組みはナショナルな差異にもとづくものではない。私の枠組みが依拠しているのは、人間が有する幅広い種類のニーズに基づく圧力(Pressures)である。そうしたニーズはとくにナショナルな境界線の内側で、ときにそれを越えて形成され、コミュニケーションに関するニーズを生じさせる。(260-261)

重要なことは、メディアの利用におけるわずかな違いを追いかけることではなく、グローバルな規模でメディア文化の全般的な範囲(Span)や多様性を形成する力学を把握することである。

比較の単位としての「メディア文化」
メディアシステムは、資源や制度がいかにして組織化され、配分されているのかという政治経済学的な分析に基づいている。
本書における関心はわれわれのメディア経験、メディアと共にある生活様式に向けられている。こうした意味で適切なのはシステムではなく、「文化」。
日常的な意味形成の実践が相互に結び付いてまとまるあらゆる方法を意味している。
すなわち、メディアを主要な資源とする意味形成の諸実践の集合体を指すものとして用いるということである。1つのメディア文化を見定めるための唯一の基準は、成因がその固有性、すなわち奇形性の諸実践顔のように「まとまっている」のかを認識する可能性があるという点である。(262)

〇メディア文化?
・明確な境界線を有する確固とした現象ではない。
・「トランスローカル」なフロー
→複数の場所や発信源から送られる素材(メディア)の流通と翻訳にその基盤を置いている。
⇒「トランスローカルな」文化理解と「領域的」にとどまる文化理解との区別が出発点となる。かといってナショナルな境界がメディア文化を区別する上での要素であることは否定しない。言語、到達範囲、規制機関などのメディアインフラの多くの側面は、領土的な境界線を有している。
メディア文化の領土的な定義は一貫性をもちえないのである。メディア文化は形式的に定義するよりも、多かれ少なかれローカルな特殊性を有しつつもメディアを介した意味形成というトランスローカルな諸過程が濃縮したものとして定義した方がよい。


①経済的ニーズ
・貧困などの経済的問題に直面するなかで、長距離移動(移住)と個人的なリスクの増大から放送メディアではなく、職場もしくはk族のネットワークとすぐ連絡が取れるようにするためのメディア文化が存在する。

エスニックニーズ
・想像の共同体
→衛星放送
・言語的な困難性と居場所づくり
SNSでどこでもつながれる。
・インターネット利用
オルタナティブエリアにおけるオーディエンスの調査研究がない。
エスニック集団=固有のエスニックメディア文化という前提は無理。

③政治的ニーズ
・メディア産業と国民形成。
・異議申し立ての場
・新しい社会運動
・ニュースに対するニーズ

④承認ニーズ
自らが消費するメディアにおいて自分たちが承認されていない。
集合的な製作ニーズ

⑤信仰的ニーズ
・メディアの制限と促進

⑥社会的ニーズ
オンラインコミュニティは年齢とセクシュアリティ

⑦余暇ニーズ