山田俊治『大衆新聞がつくる明治の〈日本〉』① 書誌情報と目次,それと序章
<書誌情報>
山田俊治,2002,『大衆新聞がつくる明治の〈日本〉』日本放送出版協会.
- 作者: 山田俊治
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 2002/10
- メディア: 単行本
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目次
はじめに
序章 大衆新聞『読売新聞』の出現
1 大衆新聞としての『読売新聞』
2 明治新聞事情
3 民衆にとっての新聞 ⇦いまここ!
4 大衆メディアの広がり
5 大新聞と小新聞ということ
第1章 『読売新聞』の位置
1 解説する新聞という役割
2 雑報をどう書くか
3 二人称で語りかける
4 読者との親密な関係
第2章 明治という国家の支配の網目
1 布告を伝達する
2 政治としての口話性
3 明治国家をどう受け入れるか
4 政治を代行する『読売新聞』
5 求められる新聞縦覧所
6 社会の隅々へ
第3章 識字社会の様態
1 非識字への眼差し
2 文字による支配
3 読み書きという能力
4 子供に負ける大人
5 知の位相
6 文字習得の行方
第4章 〈事実〉の時代
1 〈事実〉を伝える新聞
2 紙面と交流する読者たち
3 判断としての〈事実〉
4 民族的世界を抑圧する
5 布告という根拠
6 虚構を〈事実〉として
第5章 物語としての新聞
1 物語としての事件記事
2 『読売新聞』の場合
3 物語にならない雑報
4 解釈を求める記事
5 「珍話奇説」と読者大衆
第6章 読者の欲望の行方
1 読者の欲望
2 新聞条例と読者の欲望
3 雑報記事と小説
4 戦争報道と実録
5 市井の実録
第7章 懲戒する新聞
1 鏡としての新聞
2 規範を内面化する
3 理想の人物像
4 監視の網目
5 露出する家庭内秘事
第8章 スキャンダラスな眼差し
1 スキャンダルの快感
2 スキャンダルの書き方
3 スキャンダルの効用
4 スキャンダルと物語への欲望
5 悪用されるスキャンダル
6 スキャンダルとしての女性
7 理想の結婚
終章 表象のなかの近代社会
1 メディア人間の誕生
2 国民を主体化する
3 帝国の子供
4 表象が流通する世界
参考文献
あとがき
序章 大衆新聞『読売新聞』の出現
『読売新聞』創刊号は1874年11月2日付で刊行された.創刊時の発行部数は300部だったが,翌年6月には一日1万分も売り上げるまで成長する.基本的な方針は,第一に記事の文章を,それまでの新聞が採用していた文語体ではなく,口語的な談話体で書き,さらに傍訓(今でいうルビ)を付すという点である.さらに,その内容についても教化性が重視され,「為(ため)になる事柄」を「誰にでも分かるやうに書(かい)て出す趣旨(つもり)」という方針だった.著者は,ここに「俗談平話」で語りかける,民衆を読者対象に想定した大衆新聞の成立を,そこに見ている.
こうした方針は,『読売新聞』の名前にも表れている.「読売」とは,もともと江戸時代の「瓦版」の旧称で,瓦版(かわらばん)とは,心中事件や噂話,珍談,火災情報,小話などを書き記していたもので,パンフレット類の総称である.これらのメディアは幕府非公認で,公認の版木仲間には加入していない板行屋が出版し,香具師が「読み上げながら売り歩いた」ので「読売」という.いわば,非公認,いかがわしさ,低俗さのメディアがコンセプトである新聞が部数を伸ばしたのである.
筆者は,当時の新聞をめぐる社会・文化的背景を,まずは明治政府の新聞政策をもとに明らかにしている.1871年7月の新聞紙上例には,「知識を啓発し,文明開化を推進し,読者の見聞を広めることは,国家の施政に利益を与えるとする新聞の意義」と,記事の内容,記事の書き方までの丁寧な指導が記されている.政府の新聞への期待値がうかがわれる.
一方で民衆のにとっての新聞は,著者によればそれまでの書物とは異なる未知のメディアであったらしい.築地などで新聞を出していたJ・R・ブラックの回想録『ヤング・ジャパン』には次のようなエピソードが記されている.ブラックが定期購読の勧誘に訪れると,商家の主人は,「私は一つ持ってるのですよ――それ以上,いりますか」と答えたという.そこでブラックは,毎日新しい情報が届くという,書物とは異なる新聞(ジャーナル)の性質を説明しなければならなかった.このエピソードは,メディアが身体を拡張し,時間の新たな編成と密接に結び付いているというマクルーハンとアンダーソンの知見を援用できるように,同時代の民衆にとっては,新たな知覚を必要とする困難を伴ったのではないだろうか.
もう一つの困難さは,識字率の低い民衆にどうやって読んでもらうのかという問題であった.社会学者のドーアによれば,明治初年の識字率は男性40ないし50%,女子15%であった.そこで,無料の新聞店コーナーの設置や,住民を集めた新聞の朗読解説会「新聞解話会」,紙面の工夫などがされた.こうした明治の民衆に向けた新聞づくりは,先に挙げた啓蒙と「勧善懲悪」という道徳の2つの教化性を柱として展開されていく.それまで道徳教化は小説や芝居によって培われており,これらの上位互換メディアとしての役割を期待されていた.こうした大衆新聞は,従来の大衆文化と結合しながら,そのすそ野を広げていく.そしてこの大衆と結びついた新聞は,一括して「小新聞(こしんぶん)」という呼称で一般化することになる.
従来の新聞史,メディア史では,政治的な言論機関となった『東京横浜毎日新聞』『東京曙新聞』『東京日日新聞』・・・などなどを,知識人向けの高級紙として「大新聞」と総称し,それに対して,『読売新聞』『仮名読新聞』などの大衆新聞を「小新聞」と呼んできた.小新聞は,政治に無関心な民衆を対象とする,啓蒙的かつ扇情的なメディアと見なされ,社説を掲げて国家社会の政治を論じる大新聞こそ,正当な新聞ジャーナリズムと考えられていたのである.そこに著者は,明らかに政治的な言論を掲げる新聞を上位に見る価値観が隠されているとみている.しかし,新聞が民衆にも身近なメディアとなるうえで,『読売新聞』などの新聞が果たした役割は見逃せない.むしろ,小新聞が開拓した読者層が,新聞を流行現象としていたとさえ考えられる.そこで,著者は大新聞を中心に置いた新聞の歴史叙述は,公平を欠いてしまうと問題提起する.
こうした偏見は,明治中期にすでに見出せる.そもそも大小の区別が明治10年代に作られた見方である.小新聞は,紙面の小ささ,読者層の未熟さ,書き方といった子新聞側の特徴を鮮明にするために使われたものであって,初めから並立していたわけではない.読者の側もこうした区別があったわけではない.市井の雑報にも,啓蒙という行為自体にも政治性は密接に結び付いている.こうした小新聞の政治性,政治過程における小新聞の役割といった視座も含めた叙述が求められる.
そこで,本書では西南戦争以前の読売新聞を対象として,文明開化期の社会変容と新聞メディアのかかわりを解き明かしていく.