幸福なポジティヴィスト

アイコンの作者忘れてしまいました。

鈴木裕子,1992,「「従軍慰安婦」問題で問われているのは何か」

<書誌情報>
鈴木裕子,1992,「「従軍慰安婦」問題で問われているのは何か」『世界』572: 32-39.

加藤談話の調査はきわめて不十分なもの
→被害者の声に誠実に耳を傾けることが、謝罪・償いへのまず第一歩なのではあるまいか。
資料調査が不十分であり、資料が発見されて、そのつどごとに非を認めるのではなく、念入りな真相究明作業のもと、自らの誠意を見せるべきである。

従軍慰安婦の本質
民族差別と性差別が凝縮したもの
二つの差別が互いに絡み合っているため、二つの差別への連関した視点が必要である。
軍国支配者、「日本娘」の「生殖の性」がそこなわれることを恐れたからである。「慰安婦」をさせることが、女性の「生殖能力」を衰退させることを彼らはちゃんと計算に入れていたのであった。
そこで考えついたのが、植民地から“処女”を連れて来ることであった。
当面の性病防止になると同時に、植民地民衆から、その民族性を剥ぎ取るのにも好都合との深謀遠慮も働いたことであろう。

忌避されてきた植民地支配
①植民地支配への反省、謝罪が一貫して忌避されてきたから
日韓基本条約と諸協定は植民地支配への反省と謝罪もなく、経済協力という名目ですり抜けた。
このような態度を取り続けていることも問題。補償を求めるなら、被害の側が、事実の立証と法的根拠を示すという傲慢な態度。

②性支配のからくり(つまり性政策)をわたくしたち女性が見抜けなかったから。
日本娘を送り込まなかったのは彼女らの人権を認めたからではなく、「人的資源」の「再生産力」として、「女性の生殖能力」が失われることを恐れた。その一方では植民地や現地の女性の性が侵略されていた。

③快楽の性の管理
国家によって保護され、強力に支えられていた公娼制度抜きに、軍と政府が組織ぐるみでつくり、運営・管理していた「従軍慰安婦」制度はありえなかった。
日本女性は、「一般女子」と「娼婦」に二分され、「娼婦」は「一般女子」の蔑みの対象となった。これにより女が分断された。
公娼制下で、男性の性もまたコントロールされた。
従軍慰安婦」制度とは、まさに「皇軍」における公娼制度であった。軍権力による性管理。
従軍慰安婦=公娼と家父長制度
日本の女性は被害と加害の二重構造の中に組み込まれている。

救済基金や見舞金などで糊塗できる問題ではない。
安易な政治決着、当事者抜きの政府間の妥協は許されない。

このような家父長制社会の性侵略に日本のフェミニズムの側から問い続けなければならない。