幸福なポジティヴィスト

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ロー・ダニエル『竹島密約』

<書誌>
ロー・ダニエル,2008,『竹島密約』草思社

竹島密約 (草思社文庫)

竹島密約 (草思社文庫)


本書において李ライン及び日韓漁業問題についてどのような指摘あるかをまとめていきたい。本書の主張は竹島(韓国名独島)を対象とした日韓間での密約(竹島密約)があったことをリポートし、加えて、対日講和条約作成過程では日本による竹島領有権が認められ、韓国政府の主張は米国によって退けられたことも示している。


 本書における李ライン及び日韓漁業問題は以下の指摘がなされている。
1、李承晩ライン作成の理由。
①対日講和条約において敗北を喫した韓国外交 p.20~31
 米国政府は竹島を日本領と見なすことを決定
1946年1月29日付SCAPIN677号「日本の範囲から除かれる地域」
鬱陵島竹島、そして済州島
→1947年3月20日第一次対日講和条約草案~第五次草案まで竹島は留保付きで韓国領とされていた。
「リアンクール岩(竹島)の再考を勧告する。これらの島への日本の主張は古く、正当なものと思われる。安全保障の考慮がこの地域に気象およびレーダー局を想定するかもしれない」
シーボルト駐日大使、国務省への講和条約第五次草案についての逐条意見書
領土条項「竹島が日本領土である旨を条約に明記するべきである。同島を朝鮮沿岸島と見なすのは困難である」
→1949年12月29日の米国第6次草案では竹島は日本領となる。最終草案も同様。
ディーン・ラスク国務省極東担当次官補から梁裕燦駐米大使宛の書簡
「独島、他の名で竹島もしくはリアンクル岩礁と呼ばれるものに関連したわが方の情報によると、ふだんは人が住まないこの岩の塊は韓国の一部として扱われたことがなく、一九〇五年以降、日本の島根県隠岐島司の管轄下に置かれていた。韓国はかつてこの島に対して権利を主張していなかった。波浪島講和条約のなかで日本から分離されるべき島の一つとして指定すべきだとの韓国政府の要求は棄却されるものと理解する。」
⇒領土争いの対象とならない「対馬」について領有権を主張する大統領、存在が確定できない「波浪島」の領有権を主張する韓国政府の準備不足と軽率な態度は、韓国の主張自体の信憑性を疑わせることにつながった。これは、首相をはじめ外務省が一体になって「理論武装」していた日本とはあまりにも対照的な風景だった。
⇒外交的敗北を喫した李承晩政権の「自らの手で正義を」実現しようとした形が「李承晩ライン」

②李承晩大統領個人の性格 p.32
連合国軍太平洋総司令官マーク・クラーク回想
「李は自身を韓国だけではなくアジアのリーダーと認識していた」
⇒国際社会が裁定した領有権を無視して、海の上に警戒線を引くことが可能だったといえるかもしれない。

③「自救策」としての李ライン p.32~34
 1945年9月27日、マッカーサーライン:漁業資源の乱獲を防ぐという目的で、日本列島の周りに漁業が可能な限定線を引いた。
→韓国政府は対日講和条約以降もマッカーサーライン存続を希望するも拒否。それに対する自救策。
・画定の手順
A、商工部:純粋に漁業資源のみを考慮した線(竹島は入っていない)
B、外務部:竹島編入を強く提示
C、大統領府において修正の後、決定

外務部政務局長金東祚
「こういう画線による排他的管理は、当時の領海三海里、公海での漁業の自由といった国際海洋秩序に背馳することで、国際社社会から多くの非難と反発を受けることを十分に認識していた。しかし……当時混乱に陥っていた海洋法の沿岸管理問題に乗じて反対の論理に対抗できると判断し、押し切ったのである……画線と関連し、私が将来の領土問題を考慮し、特別に漁業保護水域に入れたのが独島だった……私は、これから韓日間に起こりうる独島領土紛争に備え、主権行使の前例が絶対に必要であると思った。」


2、請求権と李ライン p114~121
朴・池田会談
「日本が請求権問題に誠意を見せるのであれば、韓国は平和線問題に柔軟に対応する」
請求権問題の解決=平和線問題の解決:「金・大平メモ」=平和線撤廃

1962年10月16日、朴将軍は、金鍾泌中央情報部長宛に出した「対日折衝に関連する訓令」
「韓日問題を大局的見地から解決するために、請求権問題で日本側が誠意を示せば、わが方は平和線問題に柔軟な態度で臨む」と指示。

1962年4月30日、韓国首席代表裵義煥報告書
参議院選挙までは日本を刺激する措置をとらない方が良いと判断される。特に、漁期が近づいてくると、日本の漁船が平和線を侵犯するケースが増えるが、拿捕は避けること、同時にこれが日本に対するプレッシャーになることも考慮して、柔軟に処理すべきである」

1963年以降李承晩ライン侵犯を黙認

大平外相との会談後の金鍾泌
「現実的にみて、平和線を永久不変の生命線のように思うのは無意味である。(それに譲歩することは、韓国の)漁民の利益をさほど損なうものではない。逆賊という辱めを受けてでも、祖国の近代化という大局的見地に立って、平和線にたいする官民の旧態依然たる考えを払拭したい」


3、漁業問題 p.191~
1965年2月椎名外相訪韓
「韓国沿岸十二カイリを、韓国の漁業専管水域とし、その外側に、共同規制区域を設けて、出漁制限を行い、日本は、漁業経済協力を行う」

○対立点
平和線:日本―撤廃、韓国―存続
12カイリ沿岸の基線の線引き:日本―済州島を本土とは切り離して基線を引くべき、韓国―朝鮮本土と済州島を直接基線で結び、広大な内水をつくる。
⇒第六次会談赤城・元農相会談は基線の線引きにより膠着

○韓国側の認識
1964年10月14日、外務部内「韓日会談代表者懇談会」
亜州局長
 日本側は漁業のみやりたがる。その他のことは、日本側は全然急がない。反面、われわれは漁業交渉をしながらわれわれの(他の)要求を全面的に貫徹すべきだ。
崔奎夏(全韓日会談代表)
 漁業において(日本側)は速戦即決を望むが、おそらく、日本にとって痛い問題は平和線だろう。日本には絶対賛成と絶対反対の両方の意見があるが、漁業問題においては、社会党も政府の方針に賛成している……(したがって)平和線のみを議論したらわれわれは取るべきものを取れずに、渡すもののみ渡すという非難を回避できない……平和線を撤廃すべきか否かは、トップの政治家が決めるべきだ……会談を中止し、一方的にわが沿岸の基線から十二マイル(一マイル=約一・六キロメートル)にして引く構想も可能である……これは長期戦だ。
崔世璜韓日会談代表
 基線が第一の基本である。日本側は(韓国の専管水域に)済州基線について合意できれば、船舶数など難しい問題ではない。
→日本の執着を利用する

○基線40マイル→12マイルへの後退
第五次日韓会談:40マイル
1963年6月漁業会談での合意
日本の提案:日韓が漁業問題で協力する見返り(のちの「漁業協力借款」)を五億ドル以内にする、その条件として十二マイル専管水域への合意および李承晩ライン=平和線の撤廃を求めるというもの。
五億ドル=請求権全般、後に「金・大平合意」のなかの有償三億ドルのなかの九千万ドルに当たる
外務部と中央情報部が農林部と国防部の反対を押し切った。1963年5月10日「平和線に関する広報策建議」
 「国内世論は、韓日の懸案事項のなかでも漁業、平和線問題には必ずしも同調的とは判断しがたい。この機会にとりあえず広報案を実行し、政府の立場に対する国民の理解ないし支持を促すことが必要である。有力紙の記者を平和線海域および南海岸の漁村に派遣してもらい、「平和線を完璧に守ることはもともと不可能で、経済的観点から見ても平和線の存続は必ずしも有利ではない。農漁村の発展は、平和線の維持を前提とするのではなく、農漁村の近代化と市場開拓が前提となる」という趣旨の結論を書いてもらう、またはそういう結論に誘導する記事を数回にわたって書いてもらう。また、時期を見て、学会の著名人士に、平和線は国際法上、難点が多いとの趣旨の文章を発表してもらう」
⇒12マイルと平和線撤廃は既定路線に

○共同規制水域の誕生
第7次日韓会談、漁業および李承晩ライン=平和線委員会
1965年3月3日第1回農相会談で「共同漁労区域」を設定し、李承晩ライン撤廃を合意
「共同漁労区域」として想定される水域、すなわち韓国側の専管水域と旧平和線=李ラインの間の水域を「共同漁業資源調査水域」と命名する。
李東元


力尽きた