幸福なポジティヴィスト

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『世界』研究#2 1995年(603-616号)の『世界』

<プロジェクト1>「綜合雑誌『世界』における「慰安婦」問題の言説と表象——「八・一五」記憶のメディアは「慰安婦」問題をどのように報じたのか」(略称『世界』研究)
リサーチ・クエスチョンは準備中

『世界』研究#2 1995年(603-616号)の『世界』

1995年1月(603)号

◆岩垂弘「世界の潮 援護法案と『国家補償』」
・日本は95年に「戦後50年」を迎える。そうした一つの区切りを目指すかのように、九十年代に入ってから、日本の旧植民地だった国や地域の人々や、太平洋戦争中に日本の占領下にあった国の人々から、日本政府に対し戦争被害の個人補償を求める訴えが噴出している。韓国やフィリピンの元従軍慰安婦らが日本政府を相手取って起こしている提訴はその代表的なものだ。いわゆる戦後補償問題の浮上である。
◆カリナ・C・ダヴィッド「世界に見える日本の姿2 日本はモデルか反面教師か」
〇ジャパゆきさんとフィリピン花嫁
第二次大戦中、日本兵に使われた従軍慰安婦の苦しい体験は、決して過去のものではない。夥しい数のジャパゆきさんが増える一方のフィリピン花嫁は、日比関係の本質が少しも変わっていないしるしである。唯一変わったのは、こうした現実を生みだす基盤だろう。過去においてはむき出しの軍事力であった。今日では純然たる経済力である。しかし日本の男性の欲望を満たすために、いかに人間性を奪うやり方であっても他者を利用するという点では、何ら変わっていない。

1995年2月(605)号「特集 アジアの百年と日本」
1995年3月(606)号 「特集 アジアからの視線」

◆「巻頭言 個人の戦争責任」
・責任を負うべき主体を、抽象的な「日本」や、さらに「日本民族」の罪であるとして、「私たちは戦争の被害者であると同時に、加害者であったことを忘れてはならない」などということは、真の責任をあいまいにし、かつての「一億総懺悔」的なごまかしに通ずる危険性がある。
・戦争責任は国家の責任と個々の不法行為犯罪行為がある。
・謝罪するより困難だがそれがなければ歴史の教訓は生まれない。

内海愛子・高木健一・田中宏・新見隆・宮田節子・和田春樹,「〈提言〉戦争・植民地支配反省の国会決議を」(160-167)
・1990年代にはいって、日本の戦争責任を問い、個人補償を要求する声が高まった。そのなかで、1991年春東南アジアを訪問した海部首相は、5月3日シンガポールで、次のように表明した。そしてついに、従軍慰安婦であった犠牲者たちが声をあげるにいたり、日本政府も問題調査に乗り出すことになった。
次の9点を戦後50年国会決議の内容に盛り込むべきと考える。
1 かくも反省が遅くなったことに対する遺憾の意
2 朝鮮植民地支配に対する反省
3 中国への侵略的戦争に対する反省
4 太平洋戦争への反省
これは、アジア太平洋地域でなされた殺害、略奪、破壊、この戦争への朝鮮人・台湾人等を動員して与えた肉体的、精神的苦痛、なかんずく「従軍慰安婦」とされた女性たちの人間的尊厳の侵害に対する反省を内容とする。

以下略

田中宏「これでは、戦後50年の区切りはつかない——戦後補償問題の検証」(168-175)
・日本の「軍隊慰安婦」については、それが戦争放棄違反に当たるとする「従軍慰安婦に関する報告」を先日国際法律家委(ICJ)日本政府は被害者のリハビリテーションのため暫定的な措置として4万米ドル支払うべきと勧告。

1995年4月(607)号 「特集 『公共性』が問われている——震災復興と規制緩和

細谷千博井出孫六「特別対談 戦争を記憶するということ歴史を記憶するということ」(p.22-37)
・細谷 戦後50年を迎えて海外のマスコミは日本政府の動きを非常に注目しています。そんな中で一方において日本政府は慰安婦、その他戦後処理の問題についてはキチンと清算しようとしない。金銭的な補償の面でも具体的な施策はなかなか示されない。片や平和記念館をつくる。それでは日本の国際的な立場が悪くなる。そういうことを心配した。
細谷 日本は朝鮮、台湾の植民地には戦時中強制連行などいろいろとひどいことをした。それに対して日本政府は国交正常化の際に賠償に代わる経済協力を約束し、その点で法律的には片がついているのですが、法律で話に気持ちの上で清算がついていない。
井出 戦後処理の問題でいえばその方法と内容に問題がないといえないが一応形をして関係は修復してきた。冷戦の解体、そして戦後50年という節目に当たって、これまでなおざりにしてきている国家補償をきちんとしてモノにすると同時に謝罪と反省の国会決議をぜひとも実現すべき。
細谷 歴史に対する共通の理解を

◆R・P・ドーア佐藤信行訳「もうひとつの日本との対話 不服の諸相PARTⅡ 在日韓国・朝鮮人問題の現在 第二回」(257―269)
ドーア その後の展開とは?
佐藤 1つは戦後補償問題が大きくなりました。従軍慰安婦の問題が一番象徴的ですが、そのほかに強制連行されて強制労働をさせられた人たちの問題が、ここ2,3年のあいだに大きくクローズアップされました。
佐藤 今日本には戦争犠牲者援護法として15の法律がありますが、原爆被害者援護法を除いて国籍条項によって在日韓国朝鮮人は排除されています。これは差別といえます。日本の歴史責任を問う革新的課題となっている。

1995年5月(608)号 「特集 歴史の真実とは何か」

日垣隆・田中伸尚「対談 『歴史』と『神話』の間」(155-169)
・戦後50年を契機として、私たち自身の歴史観が問われる場面が多くなってきた。不戦決議や英霊への感謝決議、戦後補償をめぐる様々な裁判と従軍慰安婦の方々への補償のあり方、スミソニアンの原爆展、
歴史観が共通していなかったこと。

◆石坂浩一「〈不戦決議〉とは何か」(181-186)
・93年に誕生した細川政権は、11月6日、韓国での金泳三大統領との会談において、日本語の強制使用、創氏改名慰安婦、強制連行など具体的に列挙し「我が国の植民地支配によって、耐え難い苦しみと悲しみを経験されたことについて、加害者として心から反省し、深く陳謝したい」と表明した。

◆吉田裕「連載 日本人の戦争観——戦後史のなかで」「最終回 歴史からの逃避——現在そして未来」
・政治主義的で現実的な戦争観が主流の位置を占めつつあるということである。(中略)あるいはアジア諸国からの補償要求は拒否しつつ、元従軍慰安婦に対する見舞金構想のように、何らかの政策的措置を講じようとするような立場がそれである。
・「提督の決断」には、「強制労働」を実行すると「基地の耐久度」などが上がり、「慰労」を選ぶと、水兵が女性の肩を抱いて消え、その後、兵士の元気が回復するといった、あたかも強制連行や従軍慰安婦を思わせるような場面が登場する。

1995年7月(607)号 「特集 カルト社会と『自我』」

袖井林二郎「『愛国主義者』と歴史——不戦決議の命運と米上院公聴会
・決議は、反対者のいう「歴史の断罪」どころか、日本の良心と品位を世界に示す、絶好の——これを逃せば当分あり得ない——機会なのである。
・スイーニー証言は日本人の歴史健忘症と自己正当化を指摘する。
「戦いに敗れて五〇年、いまや日本の政府関係者は、無分別にも日本は犠牲者だといいはるのだ。日本には自分の国が第二次大戦中に何をしたのかをよく知らぬ世代が育っている。そのために彼らは謝罪すべきだということを理解できない——韓国の従軍慰安婦に、ナチスと同じほど恐ろしい生体実験をされた連合国の捕虜に、アメリカに対する細菌兵器の計画に対して、〔中国、フィリピンにおける〕一般市民の計画的な虐殺に対して、その他の多くの犠牲者に対して……。」

1995年8月(609)号

星浩小選挙区制への恐怖が縛った『戦後補償』」
・戦後50年プロジェクト社会党原案
「20世紀前半の我が国の行為は、近隣アジア諸国民をはじめ、多くの国の人々に筆舌に尽くしがたい苦痛と悲しみを与えた。(中略)強制的に労役に駆り出された人々、従軍慰安婦とされた女性たちは、いまなお肉体的に、精神的に耐えがたい苦痛を余儀なくされている。このようなわが国の過去の行為について、深く反省し、おわびする我が国の過去の行為やアジア太平洋戦争によって尊い生命を奪われた内外のすべての犠牲者に心から哀悼の誠をささげる。」
自民党さきがけ案には従軍慰安婦なし。
社会党修正案からは強制的に駆り出された人々と従軍慰安婦が消える。さらに侵略戦争を侵略行為とし、植民地支配は譲らなかった。

三木睦子,(聞き手)山口昭男「インタビュー わたしはなぜ『民間基金』の呼びかけ人を引き受けたか」
・被害者の方たちにとってみれば、単なるお金の問題ではなくて、尊厳の問題なのです。ですから、日本政府が国家の責任を認め、誠意をもって謝罪することが、本来の出発点だと思うのですが。
三木 戦後の補償は済んでいない。どんな困難があっても、日本がこれから世界と強調することはできない。

◆「戦後補償の早急な実行を政府に要望する」
・その中でも、日本国家の行為によって、人間の尊厳を踏みにじった奴隷的な扱いを受け、耐え難い苦痛を強いられた従軍慰安婦と強制連行労働者に対して、国家補償を行うのは当然のことです。
・今回政府が発表した「女性のためのアジア平和友好基金」のように、本来国家が行うべき補償を民間募金に肩代わりさせるといった、筋をたがえた方式では、問題の解決にはなりません。

1995年8月臨時増刊号(608) 「日韓シンポジウム 敗戦50年と解放50年」
1995年9月(610)号「特集 被爆50年特別企画」

◆米谷ふみ子「過去を忘れる者は過ちを繰り返す」
・過去において日本の軍部が満州で人体実験をしたり、南京江虐殺をしたり、中国人を毒ガスで殺したり、多くの他国の女性に、一時に一人で何十人もの兵隊に性的奴隷にを強制するという残虐行為をしたことを、どうして国民を代表して謝れないのだろうか?今からでも遅くない。
・案外、南京大虐殺で著しい数の中国人を殺したことを、また、数え切れないほどの慰安婦のこともよく知っている。
・むしろ戦中に軍部と組んで殺人器を製造していた、、、に南京大虐殺の、そして韓国初め他国からの従軍慰安婦としての犠牲者に賠償金を払わす。そうすれば将来同じ過ちを繰り返さない。

◆グラビア「五〇年の貌」
・植民地だった朝鮮半島の多くの女性たちが日本軍の慰めの道具にさせられ、夢も希望も無残に摘み取られた。もはや、白髪の年。人生のやり直しはきかない。沈美子さんは小学校五年生の時、日本地図に朝顔を刺しゅうした。それを憲兵が、「朝顔の朝は朝鮮の朝だ。お前は日本を冒涜した」と怒った。少女は暴行されて気絶し、気が付くと、韓国から福岡の部隊に連れてこられていた。「私たちは民族ごと、あなたたちのお祖母さん、お母さんの代わりをさせられたのです」
・けれど、従軍慰安婦などの恥の事実を隠したままの発展だった。アジアへの誠意ある戦争責任を取ってこそ、本当の国際化となるのではないないだろうか。
・2発の原爆と大空襲で、日本列島は焼け野原になり、そこからの回復力の強さを、私たちは自画自賛してきた。けれど、従軍慰安婦などの恥の事実を隠したままの発展だった。アジアへの誠意ある戦争帰任を取ってこそ、本当の国際化となるのではないだろうか。

大石芳野「被害の貌、加害の貌——グラビアによせて」
・平和の礎には二十三万余人の死者の名前が刻銘されている。(中略)実際には、朝鮮半島からの強制連行は三十万を超えており、そのうち沖縄には一万人はいた。さらに、従軍慰安婦は沖縄だけでも、一千人は下らないといわれる。このうちの何人が、当時、本名を登録されただろう。通名で記録された人さえもごくわずかしかいない。こうした刻銘されない大勢の死者たちの思いが、黒い意志時の空白に漂っている。沖縄戦の最中、コーリアンにあったという人は何人もいる。(中略)また、玉木登美子さんは大勢の指揮官クラスが慰安所の前に列をなしているのを、ごく日常的にみていた。「級が下の兵隊はダメだったの。若い女性ばかり、気の毒でした。驚くほどの美人もいましたね」女性たちの傷は、誰にもいやせないほど深い。それにもかかわらず、「民間人が勝手に営利目的にしたもので、軍は関与していない」と、日本政府は主張し続けてきた。国家の及び腰の態度に追従するように、私達もまた誠意を失い、彼女たちの気持ちのどこかで蔑ろにしてはこなかっただろうか。ひとりひとりが受けた屈辱の一端でも、同じ女性として、または母や妻、娘だったらと考えて、共有しようとした気持ちがあったなら、お互いのこの半世紀の歴史はもっと改善されていただろう。歴史的な事実から逃げても、その事実は決して消されはしない。真正面から立ち向かうしかないのだが、私たちはずっとそれを拒んできた。

戸塚悦朗「国連の『従軍慰安婦』問題へのとりくみ——戦争犯罪=人道に対する罪の立場から」

◆藍谷邦雄「国際法が問う日本の戦争責任」
◆「国際化する「従軍慰安婦」問題——NGOからの声」

1995年10月(614)号 「特集 阪神復興と人権」

坂本義和核廃絶への二つの道」
・「唯一の被爆国」という、被害者としての講義の発言は明確だが、加害者としての謝罪の発言は、きわめて不明確で無内容だったのである。そのことは、元従軍慰安婦や強制連行労働者に対する国家補償の問題についての、政府の態度にも示されている。元従軍慰安婦にかんする「女性のためのアジア平和国民基金」も、民間基金を補償に充てるという発想であって、国家補償はしないという立場は変わらないし変えられないという前提で発足している。

川村湊山室信一「〈アジア〉の自画像をいかに描くか」
・川村 戦争が被害と加害という面でしか語られないと、そこからこぼれ落ちてしまうものがたくさん出てくる。文学者の場合でも、田村泰次郎火野葦平にあっては、被害—加害という形の表面的な反省はない。むしろない人間の方がきちんと戦争のことを書いている面もあるわけです。田村泰次郎などは『肉体の門』を書き、『春婦伝』や『蝗』のような朝鮮人従軍慰安婦の姿を生き生きと描いた、一種の反戦小説と読めるようなものを書いてしまう。

1995年11月(615)号「戦後思想と批判精神」

横田一「地方議会『不戦決議』逆流の構図」
〇地方議会の不戦決議
宮城県塩釜市では、1995年3月13日に全会一致で「不戦決議」が採択された。
「今日、真摯に自らの侵略戦争の歴史を厳しく見つめ、無謀な戦争の悲惨さと、そこに幾多の尊い犠牲があったことを憶い、このことを次世代に語り継がなければならない」
「今、国のなすべきことは、我が国の戦争責任を明確にし、国内外の戦争被害者に謝罪と補償を実行することである」
⇔市民や遺族会、右翼の反発によって、3月29日「不戦決議」は撤回され、あらたに「戦没者への追悼および感謝と恒久平和に関する決議」が賛成多数で可決された。そこには「侵略戦争」や「反省」の文言は消えていた。
「本会議は、戦後五十周年という歴史的事実に鑑み、我が国の国難に直面し、祖国の安泰と平和を守るため尊い命を捧げられ、今日の平和と繁栄の礎を築かれた三百余万の戦没者に対し、心から追悼と感謝の意を表する」

・東京都清瀬市では、1995年3月27日に「『不戦の誓い』に関する決議」(3月決議)が採択された。
「アジア、太平洋地域で、日本軍による殺害、略奪、破壊と、戦争に動員された朝鮮人、台湾人が被った肉体的、精神的苦痛、なかでも『従軍慰安婦』とされた女性たちが受けた人間的尊厳への侵害などを内容とする太平洋戦争への反省と謝罪をする」という市民からの意見書をもとに、
「2000万人以上ものアジアの人々の尊い命を奪い、日本国民にも多大な犠牲をもたらしたこれらの戦争は、絶対主義的天皇制の下で引き起こされた侵略戦争にほかならない。政府は速やかにこれらの戦争が侵略的意図のもとに引き起された侵略戦争であることを認め、従軍慰安婦など絶対主義的天皇制の植民地主義のもとで迫害され、様々な被害にあわれた方々に、国として責任を果たすべきである」
遺族会や右翼の反発により、三月決議の見直しが陳情され、1995年6月27日には「恒久平和の創造と不戦の誓いに関する決議」(6月決議)があらたに採択された。
「当時、日本は、アジア太平洋地域で侵略戦争を遂行し、植民地支配を行い、アジアの人々の尊い生命を奪い、日本国民にも多大な犠牲をもたらしてきた。これらの事実を想起し、戦争の犠牲者への心から哀悼の意を表明するとともに、関係職への深い反省と真摯な謝罪をし、日本国憲法恒久平和の原則を守り戦争を二度と繰り返さない不戦の決議をあきらかにする」
→絶対主義的天皇従軍慰安婦、国家の責任の文言が削除された。

〇著者の分析
・「戦争を被害者の視点からとらえ、死を崇高な行為として捉えるものだ。しかし、そこからはアジアの犠牲者への思い、加害者の視点が抜け落ちている。ここが当初の不戦決議尊重を求めた人たちとの決定的な違いである。“決議尊重派”は、加害の視点からも戦争を捉え、謝罪と補償を盛り込んだ文言を高く評価、その尊重を訴えたのである」(270)

◆山口泉、連載第1回「虹の野帖——誰が「戦後」を生きたというのか」(p.153-163)
・「戦後」は日本人が手に入れたものではなかった。むしろ「戦後」を遅らせようとしてきた。
・「戦後」は「戦争の時代以後の時代」ではなかった。巧妙で重層的に構築しなおされた戦争状態の普段の継続と拡散の時代であった。
・「戦後」において日本と日本人は「世界戦争」に関与し続けた。
→平然と「戦後五十年」の「平和」を語ることなど、さらには“戦後民主主義”を語ることなど、現代史に対する最大級の偽証である。
・“戦後を語る資格”を何の根拠もないまま自らに無造作に付与している者たちであふれている。
「アジア太平洋諸国への侵略と加害の歴史を直視しなければ、核兵器廃絶の訴えは世界に届かない」という長崎の平和宣言のような「戦後功利民主主義」は永久平和の幻想を信じる戦後日本に似つかわしい。他と置き換えることのできない絶対的な事柄取引されている。
・広島と長崎の市民団体によって、韓国で初めて「原爆写真展」が日本の侵略責任も確認する形で開催された。
来場者のなかには、韓国で最初に日本軍の従軍慰安婦だったと名乗り出た金学順もいた。パネル展の貧弱さは「日本人がアジア諸国被爆を訴えるためのアリバイ作り」が強調される。本島市長が日帝侵略史を語る時、当時の日本軍属が“慰安婦を狩り集めた”模様について、本に書かれていることを語り続ける。しかし金の表情は変わらない。そこには絶対的に取り換えのきかない意思表示が見える。「私たちが求めているのはお金ではない」という言葉の痛みと誇りとに満ちた意味を、いまだ真に理解しえない国の徳性の問題である。

◆編集部「『新東亜』『『世界』』共同企画・日韓知識人往復書簡 日本軍「慰安婦」問題をどう考えるか」

1995年12月(616)号 特集「沖縄が告発する『安保再定義』」

◆読者談話室
服部素「終われない」戦後をドウスルノカ
従軍慰安婦問題は終われない戦後の象徴的課題。
・国家補償を避けて国民基金にすり替えようとしている。
基金派の人々による「募金」の拒否は償いの拒否という脅し。
基金派を国の加担者と位置づけ、挺対協派を歴史に真っ向から立ち向かい、禍根を根源から取り除く方向とし、これに加担する。国家補償を勝ち取る努力をしたい。