幸福なポジティヴィスト

アイコンの作者忘れてしまいました。

『世界』『新東亜』共同企画「日本軍『「慰安婦」』問題をどう考えるか」

<書誌情報>
大鷹淑子下村満子野中邦子、和田春樹,1995.11「なぜ『国民基金』を呼びかけるか」

問題は、日本政府にとって、「従軍慰安婦」問題は国家が犯した戦争犯罪であると法的に認めることは難しいということです。日本国家にそのことを認定させ、裁きをうけるように、あるいは自らを裁くようにさせる方向に国際的なキャンペーンが行われていますが、これを達成するのは難しいと考えます。
(中略)
このような日本国家にいま戦争犯罪を認め、法的責任を取るように求めても難しいと思います。それをうけ入れるには戦後日本の歩みの全面的な見直しが必要になるでしょう。そのような主張はすでに久しくなされていますが、合意にはほど遠いのが現実です。現在できるのは、過去の反省を深め、政治的、道徳的責任を認め、被害者に謝罪する方向での前進です。
(中略)
このような日本国家として謝罪するということは、国家、国民としての連続性にもとづいて謝罪することです。自分たちがしたこと、自分たちに直接的に責任があることではないが、自分たちの国家がかつてしたこと、自分たちの祖父がしたことだから、道義的責任を感じて、謝罪するということです。
(中略)
謝罪は、補償、償いによって形を与えられなければなりません。私たちは「従軍慰安婦」にされた人々に対して、国民の支持をえて、国家が補償するのが望ましいと考えてきました。
(中略)
日本政府は、日本と関係各国との賠償や請求権問題などはサンフランシスコ条約やその他の戦後処理のための二国間条約ですでに処理ずみであるとしています。したがって、「従軍慰安婦」への補償問題も、これまでの条約で解決されているのかのような説明もしばしばなされました。これには私たちは納得できません。
(中略)
にもかかわらず、ひとたび国家間の戦後処理が決着したあとで、国家による補償をはじめれば、混乱がおこると日本政府は主張してきました。これに対して、国家が賠償請求を放棄して、国家間の関係が決着したとしても、個人の補償要求は可能であり、国家は正当な要求には応えて、個人補償すべきであるという考えが存在します。
(中略)
政府部内の議論の様子を見ていると、個人補償するという方向に方針を転換させることは、現状では相当に難しいということがわかります。被害者が原告になった戦後補償裁判も多くおこなわれていますが、多くの時間を要し、結果は楽観を許しません。(中略)他方で犠牲になられた方々はみな高齢でおられます。謝罪と償いの政策をとるための時間はもうあまりのこっていないのです。犠牲者たちがこの世にいなくなってから、正しい解決が出るということでは、恨をとくことは永久に不可能になってしまうと私たちは恐れました。
(中略)
構想されたのは、政府が組織し、政府の予算で運営活動する公的な基金、準国家機関です。運営費は予算から四億九千万円以上が計上されています。この基金が、政府の謝罪とともに、国民から拠出された資金を源泉として、国民の名において償いを行います。
(中略)
国民から拠金をえるという提案された方式は、強制力はありませんが、自発性に基づくだけに、安全に支出目的への支持と結びついた財源がえられます。これは、「従軍慰安婦」とされた人々に償いをするさいにもっとも必要な国民の謝罪の意思、償いへの国民的支持がもっともよく担保される方式だと言えます。ですから、私たちは基金方式は国家国民の謝罪と償いという原則にそうものと考えて、これを支持したのです。