幸福なポジティヴィスト

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ラトゥール『社会的なものを組み直す——アクターネットワーク理論入門』

<書誌情報>
ブリュノ・ラトゥール,伊藤嘉高訳,2019,『社会的なものを組み直す——アクターネットワーク理論入門』法政大学出版局

社会的なものを組み直す: アクターネットワーク理論入門 (叢書・ウニベルシタス)

社会的なものを組み直す: アクターネットワーク理論入門 (叢書・ウニベルシタス)



序章——連関をたどる務めに立ち帰るには
〇本書の目的
・社会科学者が何らかの事象に「社会的」という形容詞を加えるとき、「一方で、〔さまざまな人や事物〕が、1つに組み合わさる動きを指し示しているにもかかわらず、他方で、他の素材と異なるとされる種差的な成分を指し示してしまう」のである(8)。
→「本書のねらいは、社会的なものを素材や領域の一種と見なせない理由を示すことにあり、さらには、他の何かしらの事態に対して「社会的説明」を行おうとすることに異を唱えることにある。」(8)。
〇手続き
・社会的という概念をその原義に立ち返って定義し直し、社会科学者には思いもよらなかった諸要素の結びつきをたどり直せるようにしたい。
→社会と科学の定義を再構成する。
→従来のアプローチは、社会、社会的秩序、社会的営為、社会的次元、社会構造など種差的な事象の存在を措定すること。具体的には8つの点を指摘している。
①社会的でない活動の背景には社会的なコンテクストがある。②社会的コンテクストは種差的な実在領域である。③社会的コンテクストは固有の因果を有し、他の領域では扱いきれない点を説明する。④社会的コンテクストは専門家が分析する。⑤社会的世界の中にいる人は、この社会的世界に気づかず、専門家によって記述される。⑥定量的かつ客観的な科学的手法を用いる。⑦⑥ができなければ、人間的、意図的、解釈学的側面を導入した新し方法論を提示する。⑧政治的な意義を有する
⇔もう1つのアプローチが訴えるのは、①社会的な秩序に種差的なものは何もない。②社会的というラベルがはられる明確な実在領域はない。③ほかの学問領域が説明できないことを説明するために社会を持ち出さない。④社会の構成員たちは自分が何をしているんかわかっていること。⑤アクターは社会的コンテクストに埋め込まれなず、単なるアクターではない。⑥ほかの専門領域に社会的と付ける意味がないこと。⑦社会科学を通じて得られる政治的な意義は必ずしも望ましくない。⑧社会はコンテクストではなく、狭い導管を循環している数々の連結装置の1つとして解釈されなければならない。
社会学を「社会的なものの科学」と定義するのではなく、「つながりをたどること/tracing of association」と定義し直す。



・アプローチの命名
①社会定なものの科学⇒社会的なもの(ザ・ソーシャル)の社会学
→あらゆる活動の背後に社会的なまとまりを想定する。

②「つながりをたどること」⇒連関の社会学
→社会を生みだす活動の背後に何の存在も想定しない。
⇒「社会的なもの」は、それ自体は社会的ではない諸要素の間で新たな連関が生み出されているときに残される痕跡/traceによってのみ見ることができる
⇒アクター・ネットワーク・理論=actor-network-theory

・「アクター自身に従うこと」
社会科学がアクターの役割をインフォーマントに限定してきたが、社会的なものを作り上げているものについて自前の理論を作り上げる能力をアクターの手に戻さなければならない。


〇連関の社会学の先駆者
ガブリエル・タルド(、ハロルド・ガーフィンケル
⇔のちに覇権を握るデュルケームとの論争が想起される。
→社会的なものの社会学者が示してきた社会の見方は、主として、近代化が進む中で文明の秩序を確保するための手段であった、とすれば、近代化が疑問に附されるようになる一方で、共生の道を探る務めがかつてなく重要になっている今日において、連関の社会学者は、どんな種類の集合的な生活とどんな知識を得ることができるだろうか。


・社会的なものを狭く定義することで示される社会学の先行研究らは、社会学の建設的、科学的な面を劣化させている。

社会的領域を、すでに社会的領域の一員であるとされているアクター、方法、分野のリストに切り分ける代わりに、相対性の原則を守り、この世界が何でできているかをめぐる種々の論争で構成する。
①グループの性質に関する不確定性
②行為の性質に関する不確定性
③モノ(object)の性質に関する不確定性
④事実の性質に関する不確定性
⑤社会的なものの科学というラベルの下でなされる研究に関する不確定性



ANTによる社会理論の抽象度の深化の意味
・1つの参照フレームを安定したままにするよりも、むしろ不安定で移ろう参照フレーム同士の結びつきを記録する方法を見つけ出すことで、もっと堅固な関係をたどることができ、もっと多くのことを伝えてくれるパタンが発見できる。
社会は「個人」や「文化」や「国民国家」で「おおむね」でできているのではない。




Qアクターに語らせるというが、それはアクターの踏襲にならないか?
・客観的に観察できる研究者が彼らを分析するのではなく、「やってることを観察する」(ルーマン
・現場に入って記述して終わり?