幸福なポジティヴィスト

アイコンの作者忘れてしまいました。

田部井杏佳「韓国から世界へと広がる「平和の少女像」——韓国の運動とカナダ・トロントにおける取組を中心に」

田部井杏佳,2017,「韓国から世界へと広がる「平和の少女像」——韓国の運動とカナダ・トロントにおける取組を中心に」『季刊 戦争責任研究』89: 2-23.

〇本稿の課題
・「平和の少女像」(正式名「平和の碑」、日本では「慰安婦像」「少女像」と言われていることも踏まえて、本稿ではこの呼称に統一している。)のオリジナル版(ソウル)がどのように制作されたのかを明らかにする。

・拡大するコピー版少女像に対する日本政治家の発言、メディア報道を概観する。

〇「挺対協」の意図
・日本軍「慰安婦」の歴史、教育の場、長年運動を続けてきたみんなを褒めてあげたいという思いが形になった(尹美香 2015、講演会での発言)。
・幼い少女の姿を表象するとともに影はおばあさん、「連帯の場」としての空いたイス、少女の肩に止まった鳥は、天と地を行き来する橋渡し役である。

〇製作者の意図
・キム・ソギョン(女性で製作担当)、キム・ウンソンの2人が製作者。
デザイン候補はスタンダードな石碑などがあったが、コミュニケーションとサバイバーの癒しを考慮し、今のデザインに落ち着いた。

〇少女像に対する批判
・「少女」という10代女性の表象は「少女=純潔・無垢な被害者」というイメージを強化するのではないか?
※純粋・無垢な被害者というより、少女=処女の象徴でもあり、売春で食い詰めた年増女(あえて汚い言葉でいうが)が排除された表象になっていますよね?ということ。イメージ強化ではなく、排除の権力が働いているという表現でないと意味がない。その点で著者の反批判はキレ味がない。批判が出ることは考えるスタートだという主張は、表象による排除の権力にあまりにも無自覚すぎる。当たり前になったとき、問い直すことが難しいのはこの問題に関わってきたのであれば一番分かる側だろう。

・韓国で被害を名乗り出て証言をしたサバイバー女性の多くが連行時に10代であったことは歴史的事実である。(7)
→こうした筆者の主張からも分かるように、この像は「韓国で名乗り出たサバイバーを表象している」という非常に限定された「象徴」であることが分かる。少女像はすべての慰安婦を象徴しているわけではないことは、この像をめぐる議論において重要な前提である。

〇日本の国会における少女像をめぐる発言
・少女像設置によって、米国で日系人・日本人が韓国系・中国系の子どもにいじめられる、もしくは差別されるという主張が多い。そして日本政府の海外発信力や工法に関する質問がある。
→要は自民や維新議員による政府のロビー力不足への批判である。
⇒国会で少女像肯定や撤去反対を表明するものはなかったらしい。

続きはまた

金城睦「沖縄の人権問題——その盲点」

<書誌>
金城睦,1972,「沖縄の人権問題——その盲点」『世界』319: 134-139 .

本稿は沖縄の人権問題として売春婦の前借金による隷属状態を問題とする。
その結びに慰安婦関する記述を見つけた。

(五) むすび
 ともあれ、売春問題はおそまきながらようやく陽の光がさしこまれたことにより、解決の方向を向こうとする。しかしその根は深く複雑だから一筋縄ではいかないことは明らかである。第一に、基地や軍隊や売春とは不可分の関係にあるから、米軍基地がそのままで、さらに新たに自衛隊が加わるとなれば、解決の基盤が存しないとさえいえる。旧日本軍の慰安婦の実態を見るまでもなく、現実に存するこれまでの米軍と売春の関係、そして大量の独身男の存在から導かれる論理的帰結としても理解されうるところである。自衛隊配備問題は、平和の観点からのみでなく、沖縄の女性たちの人権=売春問題との関連からも考えられる必要がある。

石原昌家「〈ドキュメント〉沖縄戦——民衆の眼差しから」

<書誌>
石原昌家,1985,「〈ドキュメント〉沖縄戦——民衆の眼差しから」『世界』475: 74-97.



慰安婦に関する記述

1.米軍上陸まで
〇とりあげられた家
・さらに軍は民家を取り上げて慰安所も設置していった。(75)
・日本軍は、後方施設と称して各部隊に慰安所を設置した。それは民家や村屋などを利用していったが、我が家が慰安所になった人の証言がある。「宮城篤三さん(浦添村安波茶出身)が、昭和十九年夏、村兵事係兼在郷帝国軍人会分会長をしているとき、安波茶駐屯の日本軍経理将校が訪ねてきた。『(ママ)役場にやってきた将校が瓦葺屋根の私の家に慰安婦を入れるというのです。私は最初不服だといったが、どうしても使用すると言い、貸さなかったらどうするかと聞くとこれは軍命令だと言って、強引に慰安所にしていったのです。そのとき私は子ども三名の五人家族でした。そして、製糖小屋に追いやられたので、そこは床もないから子供を寝かせられないので、屋敷内の馬小屋で寝泊まりさせてほしいと願ったが、そこもだめだということでした。慰安婦は、朝鮮人と辻(遊郭)の女性が四、五人きていました。」(75-76)

・太田朝英さん(明治三十九年生)は、中国大陸で転戦して満期除隊となり帰国したので、慰安所が果たしてきた役割を熟知していいた。村の婦女子を兵隊から守らねばならないということで、止むを得ないとおもった。それで老父母三名で住んでいた家を明け渡して〔佐久川小の〕馬小屋にムシロを敷き、そこを住まいとすることにした。「当時、戦争に勝つためには何でも軍のいうがままですから、すぐ出ていきなさいと言われて、出たら慰安所にされたんです。一〇月末頃だったと思います。というのは二カ月ぐらいたった正月には八三歳の父が亡くなりましたので。私の家は瓦葺家の大きな家でしたが、馬小屋暮らしが始まって父は老衰していき、正月に『家に帰りたい』といったので、部隊長に会って、『おじいさんが病気で家に帰りたいというので、助からんかも知れないから許可してくださいませんか』と頼んだのです。部隊長は、それを認めて慰安婦たちを余所に移したので、父を連れてきました。ところが来ると同時に亡くなってしまい、その日のうちに葬式をやりました。役場の人もみんなきたし、兵隊も沖縄の葬式を珍しがって大勢墓場までやってきて、立派な葬式ができました。だが部隊長は『もう葬式は終わったから、むこう(馬小屋)に戻りなさい』といい、その日のうちにまた家を出ることになりました。それでも私は『立派な葬式ができて、ありがとうございました』と礼を述べたのです。」(76)

林博史「「従軍慰安婦」問題日韓合同研究会の報告」

林博史,1994,「「従軍慰安婦」問題日韓合同研究会の報告」『季刊 戦争責任研究』2: 38-43.


1.一回目の研究会の成果
慰安所の設置・運営の主体は軍であり、業者が介在してもその役割は従属的。
慰安婦の徴集は強制的な手段がとられたり、強姦からの使役もある。
公娼制度とは別の軍独自の制度
・「慰安婦」は性的奴隷である
・人道に対する罪などの重大犯罪
・個人請求権は消失しない

論点
慰安婦の徴集過程
・「慰安婦」の多様なあり方の解明
・名称の適切さ

2.二回目の研究会の成果
・オランダの件が処罰されているのに、アジア女性に対しては何もなくアジア差別である。
・身体的心理的被害の未解明
・民族問題であり、女性に対する人権侵害

課題と論点
・「慰安婦」の比較研究、占領地と植民地
・民族抹殺政策として定義できるか?

長田由美「フィリピンにおける元「従軍慰安婦」調査報告」

長田由美,1993,「フィリピンにおける元「従軍慰安婦」調査報告」『季刊 戦争責任研究』1: 47-50.


1.はじめに
・本論文の下となる調査の時点で、「従軍慰安婦」ないし類似ケース68件、強姦ケース37件、拷問のケース2件の連絡が寄せられていた。従軍慰安婦とは駐屯所や慰安所などに連行されて継続的な強姦を受けた被害者を指し、レイプとは監禁等を受けない一過性の強姦を意味する。
・フィリピン国内の先行研究やまとまった資料はなかった。フィリピンにおける戦中の女性に関する研究は、「暴行を受けた」や「ゲリラ参加」といった単純な記述しかなく、日本と同様に研究の遅れを認識した。

2.聞き取り内容
・26人の聞き取りの中からいくつか。

・強姦ケース
→協会に連れていかれ、女性が日に日にレイプを受ける。米軍到着前夜に解放。

・「従軍慰安婦」ケース
日本兵に拉致された後連行。監禁され、性病検査などもされながら長期間。

・拷問ケース
夫がゲリラに加わったということで拷問の中でレイプ。

3.おわり
・監禁され、継続的に強姦されるという形でないにせよ女性たちの置かれた様々な境遇。
慰安婦とレイプを分けて論じる意味がないのではないかと強く思わせるほど、区別ができるのかというほど、「戦時性暴力」という言葉がふさわしく感じる事例である。強姦からの継続的な使役。長期的な使役に至らないだけの話ではない?

林博史「陸軍慰安所管理の一側面」

<書誌>
林博史,1993,「陸軍慰安所管理の一側面——「衛星サック」交付資料を手がかりに」『季刊 戦争責任研究』1: 12-19.


1.はじめに
・「衛生サック」(コンドーム)の「交付」「追送」に関する資料が発見された。コンドームがどのような手続きを経て各部隊に交付されたのか。
・『陸亜密大日記』、『陸支密大日記』の昭和17(1942)年分。

2.陸軍中央の整備計画
・「昭和17年度陣中用品整備数量調書 整備部隊 陸軍需品本廠」―「一、陣中事務用品」「二、灯火用燃料」「三、防疫材料」「四、日用品」「五、陣営具」とあり、この防疫材料の項目に「衛生サック」、1530万個とある。
・外地兵力170万人と推定すると、一人当たり年間11個強、つまり一カ月に1個という計算で「衛生サック」の整備計画があった。

3.指揮命令系統
・各軍(総)参謀長から陸軍中央に請求、そしてその逆で交付。各軍から軍組織にならい末端の兵まで。

4.「衛生サック」交付先の地域

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「衛生サック」交付の地域別一覧

5.おわりに
陸軍省大本営陸軍部の陸軍中枢が「衛生サック」交付を行っていた。
・「衛生サック」の交付はむやみやたらに送られたのではなく、陸軍中央が慰安婦の数や配置情報を把握している可能性が高い。
・衛生サック交付数から慰安婦に関する情報が明らかになる可能性がある。
→林の推量によれば、数十万人。

吉見義明「陸軍中央と「従軍慰安婦」政策」

吉見義明,1993,「陸軍中央と「従軍慰安婦」政策——金原節三「陸軍省業務摘録」を中心に」『季刊 戦争責任研究』1: 4-11.


1.はじめに
金原節三「陸軍省業務日誌摘録」から明らかになったことをまとめていく。
・金原節三は陸軍省軍医学校を卒業、敗戦時第38軍軍医部長(フランス領インドシナ)。
「摘録」は戦争中に記した「陸軍省業務日誌」を戦後に整理摘録したもので、防衛庁防衛研究所図書館にコピーが所蔵されている。

2.日中戦争
軍紀違反多く、法務局長が憂慮している。
・「性病予防等のため、兵100人につき1名の割合で慰安隊輸入す」(1939年4月15日、第21軍軍医部長。)
・性病専門病院が必要なほど深刻。
・第一線の生活が精神的によくなかった。
→陸軍内の風紀がかなり乱れていることがわかる。

3.アジア・太平洋戦争
・「一方原住民は生活難のため売淫するもの多し。しかしバンドンその他性病多きをもつて村長に割り当て厳重なる検黴の下に慰安所を設くる要あり。」
→性病なき女性を事実上の強制によって集めようと計画していることが分かる。
軍紀違反数多い。
→強姦掠奪多し、25軍14軍など中国から東南アジア・フィリピンへの点線舞台に犯罪が数多く発生していることが分かる。
※フィリピン人慰安婦の多くが強姦からの「慰安婦」というプロセスをたどっていると証言していることが思い出される。
・性病患者も多い。
→強姦の多発と性病罹患の急増に慰安所増設をもって対処する日本軍。

4.おわりに
・出先の軍に加え、陸軍中央までもが「軍慰安所」の設置に乗りだしていた。
・強姦事件の多発、性病患者の増加、とりわけ第一線の戦場生活の粗悪さが背景にある。
・中国戦線を参考に、性病をもたない地元女性を村長に割り当てる形で徴収する計画がされていた。