幸福なポジティヴィスト

アイコンの作者忘れてしまいました。

スチュアート・ホールの「エンコーディング・デコーディング」モデル

<書誌情報>
"Chapter6 Stuart, Hall Encoding, decoding," Simon During ed.,The Cultural Studies Reader, London: Routledge, 90-103.

The Cultural Studies Reader

The Cultural Studies Reader


1.編者(Simon during)による導入
・本稿のテーマ
→どのようにしてメッセージが産出され、普及していくのかということに関して、テレビに注目しながら理論的に説明すること。
・コミュニケーションの4段階の理論
①Production/産出、②Circulation/循環、③Use(本稿ではDistribution/分布または消費/Consumptionという語を使う)/使用、④Reproduction/再生産。
→それぞれが「Relatively Autonomous/相対的自律性」をもつ。
・「相対的自律性」
→1つのメッセージのコーディングはメッセージの受容を制御するが、各段階が独自に限界と可能性を決定するので、複雑である。
⇒メッセージは、回路内で各段階が次の段階での可能性を制限するために、あらゆる解釈や「使用」に開かれてはいない。;多義性であるが、多元主義とどうようではない。
・メッセージは、制度的権力によって刻印された「支配の複雑な構造」をもつ。
→メッセージは特定の段階で受容することしかできないので、産出段階での権力関係が、消費段階での権力関係と一致する。
⇒コミュニケーションの回路は、支配のパターンを再生産する回路でもある。
記号論パラダイムの導入。
→テクスト主義とエスノグラフィーの作業の両方を用いることで、社会的枠組みに記号論パラダイムを導入。

2.本論
〇アプローチの概観
・従来のマス・コミュニケーション研究
→コミュニケーションのプロセスを循環する回路やループという用語で概念化してきた。
⇔①送りて/メッセージ/受け手という線条性(linearity)、②メッセージを交換する水準への集中、③異なる時点を関係性の複雑な構造として体系的に概念化できなったという3点で批判されてきた。
⇔コミュニケーションのプロセスを、産出、循環、分布/消費、再生産の諸時点の接合をとおして産出・維持される1つの構造という観点で考えることは有効でもある。
→コミュニケーションのプロセスは、際立った特徴を維持し、独自の特殊なモダリティ、様式、存在の状態をもつそれぞれの実践の接合を通じて維持される「支配における複雑な構造」として考える。
・実践の「対象/Object」
→言説内のコードの操作によって組織された「Sign-Vehicles/記号の乗り物」内の意味とメッセージ。
・産出の装置、関係性、実践
→「言語」という規則内で構築された「Symbolic vehicles/象徴の乗り物」という形式内の「産出/循環」という時点で発生する。
・プロセス
→物質的な道具(「意味」)、社会的産出関係(メディア装置内の諸実践の組織と組み合わせ)を産出の終わりで要求する。
・言説という形式
→循環が完璧かつ効果的あれば、社会的実践に変換される。
・アプローチの意義
→各時点が循環全体に必要であるが、ある時点が次の時点を十分に保証することはできないということである。
・各時点が特定のモダリティと状況をもつため、それぞれが「形式の通路」という独自の断絶を構築できる。そして再生産のフローは「形式の通路」の連続に依存する。
エンコーディングとデコーディングの時点

私たちは、コミュニケーションがやり取りされる過程において、(循環という観点からも)メッセージという言説的形式が特権的な位置づけを持つことを認識なければならない。また、それがコミュニケーションのプロセス全体からすれば、「相対的自律性」の状態であるにすぎないが、「エンコーディング」と「デコーディング」の時点が、決定的に重要であることも認識されなければならない。(p.91)

〇出来事の表象
・形式内の出来事
→出来事は、テレビ的言説という形式内でしか示すことができない。
⇒出来事が記号を通過する瞬間、複雑な形式的「諸規則」に従属する。
⇔逆説的に、出来事は、コミュニケーション的出来事になる前に、1つの物語である。
・メッセージの形式
→メッセージの形式は、情報源から受け手への回路における出来事の「見た目の形式」。
→「メッセージの形式」の内外の転位は、利便性を理由に拾い上げたり、無視できたりするランダムな「時点」ではない。
⇒メッセージの形式は、もう一つの水準ではコミュニケーションシステムの表面的移動を構成するが、もう一つの段階ではコミュニケーションプロセス全体の社会関係に統合されることを要求するような、決定的な時点である。

〇テレビのコミュニケーションプロセス
・制度的構造
→1つの番組を作り出すとき、産出の実践とネットワーク、組織化された関係性と技術的基盤をともなう放送の制度的構造が要求される。
①産出
→メッセージの構築。回路のスタート地点。
・「言説的」側面
→産出、歴史的に定義された技術的スキル、専門職イデオロギー、制度的知識、定義と仮定、オーディエンスについての想定などのルーティンを考慮する「使用内の知」は、こうした産出の構造を通じて番組を枠づけていく。
→より広い社会文化的かつ政治的構造内の他の情報源と他の言説的形式から、話題、処理の仕方、議題、出来事、職員、オーディエンスのイメージ、「状態の定義」を引き出す。
・オーディエンスの両義性
→「情報源」かつ「受け手」である(Philip Elliott)。
⇒(マルクスの用語を使えば、)循環と受容は、テレビにおける産出のプロセスの「時点たち」であり、多くの歪みと構造の「フィードバック」を経由して、産出のプロセスそれ自体に再組み込みされる。
・消費と受容
→受容はメッセージの「認識への出発点」であるから「優勢である」が、消費と受容は、広義にはメッセージの出発点産出プロセスの1つの「時点」でもある。
⇒メッセージの産出と受容は全く同じではないが、関連がある。コミュニケーション的プロセス全体の社会関係によって枠づけられた全体内の異なる時点である。

〇メッセージのエンコーディングとデコーディング
・メッセージの産出と受容。
→メッセージが「効果」をもち「使用」されるためには、意味のある言説をもたなければならないし、意味のあるデコーディングをされなければならない。
エンコーディング:1つのコードを利用し、1つのメッセージを産出する。
・デコーディング:社会的実践の構造のなかでメッセージが発生する。
→オーディエンスの受容実践の再検討と、「使用」は単なる行為論ではないことを確認する。

エンコーディングとデコーディングの非対称性
・コード間の一致の欠如は、放送とオーディエンス間の関係性と位置づけの構造的違い。
・言説的形式の内外における変容の時点での「情報源」と「受け手」コード間の非対称性を伴う。
→これまで、コミュニケーションのやり取りの過程における産出と受容間の「等価の欠如」が「相対的自律性」を定義してきたが、そうではなく言説的な「時点」におけるメッセージの入り口と出口という「決定的」時点を定義する。

〇テレビの「内容/Content」
エンコーディング・デコーディングモデルは、テレビ放送の「内容/Content」の理解を変容させた。
・受容研究
→コミュニケーション研究におけるオーディエンスの受容、「読み」と応答の理解は変容し始めてきている。
記号論パラダイムの導入
→マス・メディア研究は、長い間「内容」に固執してきた。
記号論パラダイムは行為論主義を払拭できる。
・G・Gerbner, 1976, Living with Television: The Violence Profile.
→テレビ番組内の暴力についての研究。テレビ番組における暴力場面の時間量、比率、暴力を加える人物・暴力を受ける人物、等について測定し、「暴力インデクス」を作る。さらに、テレビの「ヘビービューアー」は「テレビ回答」(人々の認識がテレビが描く世界に偏っている状態)的な社会イメージを持っていることから、テレビが人々をある方向に育て上げている現実を明らかにしている。
→テレビは「暴力ではなく、暴力に関するメッセージ」を表象している。
⇔従来のマスコミにケーション研究は「暴力」の問題を研究を続けてきたといえる。

〇テレビの記号
・ビジュアルとオーラルの2タイプの言説の組み合わせ。
・「類似記号/Iconic Sign」(Perice)
→その記号の性質がその対象の性質と類似している。
Ex)ある人物の似顔絵は、丸い顔、黒い頭髪、目と鼻というように、似顔絵という「記号」と人物という「対象」間の関係は、対象の性質を記号がそれ自身の性質として備えている。
→対象が持つ性質を記号自体も備えているという「類似性 similarity」の関係が、記号と対象との間に成立することによって類像記号の「表意作用」は生み出されている。「対象に単に類似することによって、そのものの代わりをする記号」、「対象の性質に似た性質を持ち、心の中に(対象と)類似の感覚を引き起こしてそれが似ていると思わせるような記号」。
・視覚的言語
→3次元世界を2次元に持ち込んだことで、テレビの犬は吠えるが噛まない。
→言説的な知識は、言語における「現実」のそのままの表象の産物ではなく、現実の関係と状態とが言葉と接合することで生み出される。
⇒言説実践。

〇コード
・コードは、「自然な状態/naturally」であるようにみえる。
⇔介入されたコードがある。
・自然化されたコード
→自然状態のコードがあったのではなく、深くまで浸透した慣習や普遍的に使用されるコードがあるということ。
⇒意味のやり取りの過程におけるエンコーディングとデコーディングの間には、基本的な一般化と相反性がある。
⇔類似的記号は、自然なものとして「読まれる」ことに弱い。知覚の視覚的コードは、言語学的記号よりも恣意性がない。

〇視覚的記号のデノテーションコノテーション
・「Denotation and Connotation」/「直示的意味と共時的意味」
デノテーション:指示対象を表す。コードの介入なし。
Ex)バラ→植物のバラ
コノテーション:社会・文化的背景によって、表現形式、言及内容が多様。コードの介入。
Ex)バラ→情熱・愛情
⇔「デノテーション」と「コノテーション」を区別しない。
→この区別は分析的であるにすぎず、言説内の多くの記号は、デノテーション的とコノテーション的な側面を組み合わせである。
コノテーションイデオロギー:分析概念としての意義
→記号はコノテーション的レベルでイデオロギー的意味付けを要求している。
→記号は、「意味の闘争」「言語の階級闘争」の状態にある(voloshinov 1973)。
デノテーションコノテーションは特定のコンテクストにおける、言語内のイデオロギーの表出と欠落間ではなく、イデオロギーと言説が交錯する異なるレベル間を区別するために単なる分析的概念である。
⇔Ex)ロラン・バルトによる広告の分析
→広告の視覚的記号はすべて質、状態、価値や推論を含意している。
セーター:「暖かい衣服」という活動的価値(デノテーション)と「冬が来る」という非明示的意味。ファッション業界での特定の意味、ロマンチック的には「長い秋が林の中を歩いている」ことを含意する。
デノテーションの背景に不可避的に立ち現れる一定のイデオロギーを明らかにする。
コノテーションのレベルは、「文化、知識、歴史とともに緊密なコミュニケーションをもつ。そしてコノテーション的レベルは、こうしたコミュニケーションを通じて、いわば、環境世界は言語学記号論的システムを侵略する。それらは、もし君が気に入れば、イデオロギーの断片である。」(バルト)

〇テレビ記号のデノテーションコノテーション
デノテーションのレベル
→複雑なコードによって固定されている。
コノテーションのレベル
→開かれており、アクティヴな変容に従い、多発的な価値を利用する。
コノテーションのコードは、あらゆる社会、文化、政治的世界の格差を課されている。
⇒「支配」や「優先された読み」など社会構造とイデオロギーが反映された社会的実践として、解釈をとらえなおさなければならない。

〇「主体的能力」という概念

われわれは、「読み」という言葉でいくつかの記号を同定し、デコードする能力だけではなく、記号と他の記号との創造的関係に記号を置く主体的能力も意味している。全体的な環境の完全な自覚にむかう状況である1つの能力。

⇒「支配的意味」の「作用」というコミュニケーションの一側面だけではなく、解釈的レベルにおける個人と私的な問題がある。

〇「誤解」の問題
・コミュニケーションの連鎖における「ねじれ」の関係。「誤解」が生じる。
Ex)専門用語を知らない、論理を追うことができない。。。
⇔オーディエンスは「支配」や「優先された」コード内で作用していない。
⇒オーディエンスは、放送側が方向づけた意味を取りこぼす。

〇「選択的知覚」
・外部の情報の中から以前の認知システムと一致したり、自分に有利なことだけを選択的に受け入れる。
⇔概念が示唆するほど、選択的、ランダム、個人的であることはほとんどない。
⇒新しいオーディエンス研究のアプローチは、この概念を批判する。

エンコーディングの立場
エンコーディングとデコーディングの時点の間にある程度の相反性を含まなければ、効果的なコミュニケーション的やり取りについて話すことは全くできない。
→「一致」は与えられるものではなく、2つの時点の接合の産物である。
エンコーディングとデコーディングが組み合わされる様々な接合を考えなければならず、デコーディングの立場の分析をしなければならない。
・3つの立場を同定する。
⇒「体系的にゆがめられたコミュニケーション」の理論という観点で「誤解」を脱構築することに役立つ。

〇「dominant-hegemonic/支配的‐ヘゲモニック」立場
・十分かつ直線的(ありのまま)に含意する意味を読み取る。
→「完全かつ明確なコミュニケーション」の典型的事例。
・専門家のコード
→支配的コードの「相対的独立性」の状態であり、専門家のコード自体の批判と変容の作用⇔支配的コードの「ヘゲモニー」に作用する。
→中立的技術問題を前景化させるような専門家的コードの代わりに、ヘゲモニックな質と作用をひとくくりにすることで、支配的な定義を再生産する。
・ヘゲモニックな解釈は政治エリート化軍事エリートによって統括されている。
→発表の状況や形式の選択、人、イメージ、議論のステージは、専門的コードの作用を通じて選択され、組み合わされた。
・「イデオロギー的装置」
→専門家は、「イデオロギー的な装置」としての放送の制度的立場によってだけではなく、アクセスの構造によってもエリートを定義することと結びつく。
→専門的コードは、ヘゲモニックな定義を支配の方向性におけるそれらの作用をあからさまではなく基礎とすることで再生産している。
イデオロギーの再生産は、不注意で、無意識で、「背中の背後」で生じる。

〇「negotiated/交渉的」立場
・支配的な定義の正当性を認める一方で、部分的には自らの規則のもと批判的な理解を行う視聴者。
・支配的な定義=ヘゲモニー的見方=現実を「大きな見方」に結び付けている。
→①精神の範囲、普遍性、可能な意味、社会や文化における諸関係全体という用語で定義。
 ②正当性の刻印―社会秩序について「自然なもの」、「不可避なもの」、「当然なこと」に一致する―。
・ロジックによる操作
→ロジックは、権力の言説とロジックに対するロジックの差異的かつ不平等な関係性によって維持されている。
Ex)労使関係法案への労働者の反応。
・経済や「国家的観点」でデコードする人は、ヘゲモニーな定義を採用し、「インフレを抑制するためには、少ない賃金であるべき」。
⇔よりよい賃金と状況のために批判続けたり、労使関係法案を批判する現場労働者や労働組合の意志とは無関係である。
・「誤解」の発生
ヘゲモニー的で支配的なエンコードと交渉され、操作されたデコーディング間の矛盾と分裂から生じる。

〇「oppositional/対抗的」立場
・文字通りの意味とコノテーション的に変化した意味の両方を完全に理解することができるが、支配的なメッセージとは対照的なデコードを行う。
オルタナティブな参照の枠組みにおいてメッセージを再度構築するために、優先されたコードにおけるメッセージを脱構築する。
⇒政治的「時点」は、交渉されたやり方で意味付けされ、デコードされる出来事が対抗的読みを与えられ始めたときのことである。「意味の政治学」。