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橋爪大三郎『戦争の社会学』③ グロティウス『戦争と平和の法』

<書誌情報>
橋爪大三郎,2016,『戦争の社会学――初めての軍事・戦争入門』光文社.


目次

はじめに
序章 戦争とはなにか

第二章 古代の戦争
第三章 中世の戦争
第四章 火薬革命

第五章 グロチウス国際法  ⇦いまここ! 

第六章 クラウゼヴィッツの戦争論
第七章 マハンの海戦論
第八章 モルトケ参謀本部
第九章 第一次世界大戦リデル・ハート
第十章 第二次世界大戦核兵器
第十一章 奇妙な日本軍
第十二章 テロと未来の戦争
あとがき


1.「国際法の父」グロティウス

 今回扱うのは第5章「グロチウス国際法」である.グロチウスとは,グロティウスとも表記され*1,「国際法の父」と評されている人物である .名をフーゴ―・グロティウス.1583年に生まれ,1645年に62歳で生涯を終えた.17世紀前半に活躍したオランダの法学者であり,外交官でもある.グロティウスは,輝かしい17世紀のネーデルランド(現,オランダ)を背景に生きた人物だが,一方でネーデルランド独立戦争(80年戦争ともいわれる)のさなかでもあり,内部抗争の末牢獄で長く過ごした人でもある.主著に数えられる『戦争と平和の法』は1625年に書かれたもので,これは国際法の古典中の古典として位置付けられている.グロティウスの個人的業績は主題でないので省くが,名門家のエリートとして16歳から弁護士を開業している天才である.
 『戦争と平和の法』の要点は,仮に主権国家が戦争する場合でもルールに従わなければならない,という点である.以下,橋爪の整理を追ってみよう.

2.『戦争と平和の法』読解

 橋爪によれば,本書は3巻からなり *2①戦争の本質論,②戦争の背景となる物件や人権についての基礎理論,③戦時国際法規となっている.ちなみに私も邦訳3巻に目を通してみたが,①は戦争とはなにかだけではなく,法とはなにかを論じており,戦争の主体にまで議論が及んでいる.
 第1巻で,まずグロティウスは法の区分を論じる.
自然法
→「正しき理性の命令」.これは神が立法し,人間は理性に従って「自然法」をみつける.キリスト教神学の標準的理解である.
②意思法.
→神が定めた成文法と人間が定めた制定法がある.
③万民法
→これはすべての国家間の法であって,「大いなる世界」の利益を考慮する.
そして,これらの区分された3つの法と戦争との関係は次のようになる.

26 それゆえ,戦の最中には,法は沈黙するかもしれないが,沈黙するものは国民法や,裁判関係法規や,平時に特有の法規のみであって,恒久的なかつあらゆるときに適応する法ではないのである.敵国間においては,成文法,すなわち国民法は,効力を失うが,不文法,すなわち自然が定め,または万民の含意が定立したところのものは以前効力を有する,というプルサのディオの言葉は誠に至言である.
(グロティウス 1989a: 16)

そして,戦争自体も自然法に反しない.このことを第1巻第2章で,自然法,歴史,万民法ユダヤ法,福音書,教会法などを根拠に論じている.
次に戦争の区別である.戦争には公戦と私戦がある.公戦とは,交戦権を持つ主権国家によって行われるものであり,私戦は,それ以外の場合を指す.戦争が戦争であるためには,交戦権を持つ主権国家が形式に準じて行う必要がある.つまり合法的な戦争となるためには条件が付せられるということだ.
 第2巻は合法的な戦争の条件についての整理である.グロティウスは自衛戦争を認めている.自衛権は,自然権にもとづく正当な権利である.ただし,攻撃が明確である場合を除いて,恐怖を抱いたからといって,機先を制して相手を殺害する権利は認められない.自衛の範囲を拡大解釈することはできないのだ.
 ちなみに明治政府が朝鮮半島を武力併合した際の根拠は次の論理の拡大解釈である.

われわれはこれよりして,正しき戦争を行うものが,平和なる領土をいかなる場合に占領することが許されるかを理解しうる.すなわち,それは,敵がその場所に侵入し,かつ回復しえざる損害が生ずるかもしれないという,想像的ではなく,確実なる危険が存在する場合のごとき,さらに例えば当該場所を単に警戒するのみで,真の所有者に裁判権と収入を残すというように,管理のために必要なものを除いては何ものも取らない場合のごとき,またさらに,必要が止めば直ちに管理を返還する意図で占領する場合のごときである.
(グロティウス 1989a:279)
 第2巻の多くは所有権の議論に割かれているが,後半で戦争の原因について考察している.正当な戦争とは言えない例は,隣国に対する恐怖や武器や要塞を整えているといっただけのもの,何らかの利益になるも認められない.相手に非があろうとも強大な覇権国である以外は認められない.最大の好機において最大の原因を持っている以外は,つまり本当に一大事である場合以外は戦争をしてはいけない.あれもこれもいけない.本当なら戦争はしないほうがいいのだ.グロティウスは戦争について次のようにも述べている.

さて,戦争は,その結果,無辜のものにすら,通常多くの災害を与えることからみても,最も重要なるものである.それゆえ,意見が全く分かれている場合は,平和の方に向かうべきである.
(グロティウスb 1989: 845)

 戦争をむやみやたらに始めるべきではないとのべているわけだ.ただし,小国の自衛手段である集団的自衛権は認めている.これがなければ小国は同盟を組むことによる外交防衛を駆使することができないからだ.このすぐ後からは戦争の避けるための方法が記されてある.実際に読んでみたのであげておくと,戦争を避ける方法は,第1に会議,第2に仲裁,第3に抽選である.第3の抽選に関しては,古代の方にその例があるからあげているだけで(つまり判例?),グロティウス自身の肉付けは少ない.
 第3巻では実際に戦争をする場合に従うべきルールについて論じている.戦場には禁止事項を定めた戦争放棄が適用される.その一方でそれ以外の事は許される.戦争において許されることの1つは,直接の対象でなかったとしても,敵に供給をするものは敵とみなすことである.ここから橋爪は非武装中立の難しさを論じる.なぜなら,非武装中立をうたう国は,交戦中の他国が,補給を求めるなどの理由で自国に立ち入ろうとした場合,実力でそれを排除しなければ,もう一方の国から敵に供給した国であるとして攻撃を受けても文句を言えないからである.日露戦争時のロシアのバルチック艦隊も補給に苦労したというが,それはこうした理由による.
 戦争による加害や被害についてはどうだろう.もっともはっきりしているのは,戦闘中の兵士は,人を殺害しても刑事責任を問われない.兵士は,ルールに則って戦闘している限り,刑事責任を問われることはない.また戦争の被害についても,被害者が民事の損害賠償を求めることはできない.この2つは古来の慣習法で説明される.
 ただし,このルールから外れた行為,例えば毒や生物・化学兵器の使用は禁止されている.また婦女暴行に関する禁止規定も重要である.橋爪は,グロティウスがすべて禁止しているように中略記号でごまかしているが,邦訳にあたると厳密にはそうではない.
橋爪の引用は次の通り.「《戦争における婦女子に対する暴行は,…平時におけると同様,戦争においても不罰であってはならない》(Ⅲ-981)」.
 ところが邦訳本では次のように記されている.

戦争における婦女に対する暴行は多くの場所では許されえるとされ,また他の多くの場所では許されえないとなす.これを許すものは…….しかし,他のものは,……,したがって平時におけると同様,戦争においても不罰であってはならないとなすのであって,これは,前のものよりましである.後の見解は,すべての民族の方ではなく,よりよき民族の法である.
(グロティウス 1989c: 981)

そして,キリスト教徒の間においては,「戦争においてすら,貞操を暴力によって犯したものは何人といえども,いづこにおいても刑罰に附せられるべきである.」と結論付けているのである.キリスト教圏を前提にすれば橋爪の主張は成り立つが,それ以外の諸国に関しては,厳密には留保されているのだ.
それから兵士が捕虜となった場合,捕虜は国際法上の1つの身分であって,戦闘員とは区別され,戦時国際法の保護を受ける.殺害や虐待は認められない.
結論として,橋爪は『戦争と平和の法』を次のようにまとめる.それは,戦争が避けられない出来事だとしても,そこにはルールがあり,人道があり,信義がなければならない,ということだ.そもそも不必要な戦争は避けるべきで,戦争中の被害は不必要に拡大すべきではない.こうしたルールを為政者は守りましょうということだ.

3.グロティウス,および『戦争と平和の法』研究成果

 前章では橋爪による『戦争と平和の法』の整理を検討してきたが,本章では法学の領域における『戦争と平和の法』に関する研究成果を,門外漢ではあるが参照してみたいと思う.ところで,『戦争と平和の法』に関するテクスト内在的な分析を試みている論文は,手に入る限りではなかなか見当たらなかった.したがって,時代をかなり巻き戻して,1980年代に『法律時報』で連載された「『戦争と平和の法』の研究」(全24回)シリーズをもとに,いくつか勉強になった点を随時ピックアップしていく形を取ろうと思う.今回は24回にわたる論稿すべてに目を通し,何か一貫した軸のもと整理するのは難しいので,研究会を主宰する大沼保昭による研究会の目的をまとめた論文「『戦争と平和の法』の研究1」とグロティウスが生きた時代背景の中に『戦争と平和の法』を位置付けた山下泰子の「グロティウスのネーデルランド――歴史的背景」をもとに,いくつか勉強になった点を整理していく.
 以下執筆中.

[文献]
グローチウス著,一又正雄訳,1989,『戦争と平和の法 第一巻 復刻版』酒井書店.
グローチウス著,一又正雄訳,1989,『戦争と平和の法 第二巻 復刻版』酒井書店.
グローチウス著,一又正雄訳,1989,『戦争と平和の法 第三巻 復刻版』酒井書店.

戦争と平和の法 全3巻

戦争と平和の法 全3巻


戦争と平和の法〈第1巻〉 (1950年)

戦争と平和の法〈第1巻〉 (1950年)

戦争と平和の法〈第2巻〉 (1950年)

戦争と平和の法〈第2巻〉 (1950年)

戦争と平和の法〈第3巻〉 (1951年)

戦争と平和の法〈第3巻〉 (1951年)

*1:本稿ではグロティウスと表記する.またグローチウス,グローティウスといった表記も見られるが,いずれも古く,現在ではグロティウスが一般的だ.

*2:一又正雄による邦訳本『戦争と平和の法』は,巖松堂から1950-51に初版が刊行され,復刻版が酒井書店から1989年に刊行されている.本稿で参照しているのは,このうちの復刻版になる.原著は3巻からなり,邦訳も3巻に分かれているが,邦訳に1巻に原著の2巻にあたる部分も含まれている.またページ数も各館のページ数ではなく通し番号で振られている.したがって,本稿で引用部分の参照巻号に関しては邦訳の巻号であり,ページ数も同様である.