幸福なポジティヴィスト

アイコンの作者忘れてしまいました。

戦争体験 玉音放送を人々はどのように体験したのか.

「昭和ひとけたのいつわらざる感慨」 太田昭三 60 無職 長崎市 21-22.

 終戦時,私は,長崎に原爆が投下されてから四日後の昭和二十年八月十三日からは十五日まで原爆廃墟後の整理のため,焼けつくような炎天下で作業していた.
 十五日の昼下がり,サイドカーに乗った憲兵二人が「先ほどの天皇陛下終戦放送はデマ放送なのでだまされてはならないよう」と叫んで回っており,この憲兵たちによって終戦放送らしいものがあったことを知った.
 夜,避難していた近郊の農家でラジオの再放送を聞き,天皇によって終戦が宣言されたことを確認した.そのあと虚脱状態になり,何をしたか全く覚えていない.