幸福なポジティヴィスト

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M・フーコー『知の考古学』 序論

 <書誌情報>
Michel Foucault, 1969, L'Archéologie du savoir, Paris: Gallimard.
(=2012,慎改康之訳,『知の考古学』河出書房新社

知の考古学 (河出文庫)

知の考古学 (河出文庫)


<目次>
諸言

Ⅰ 序論   ⇦いまここ!

Ⅱ 言説の規則性
 Ⅰ 言説の統一性
 Ⅱ 言説形成
 Ⅲ 対象の形成
 Ⅳ 言表様態の形成
 Ⅴ 概念の形成
 Ⅵ 戦略の形成
 Ⅶ 注記と帰結

Ⅲ 言表とアルシーブ
 Ⅰ 言表を定義すること
 Ⅱ 言表機能
 Ⅲ 言表の記述
 Ⅳ 稀少性、外在性、累積
 Ⅴ 歴史的アプリオリとアルシーブ

Ⅳ 考古学的記述
 Ⅰ 考古学と思想史
 Ⅱ 独創的なものと規則的なもの
 Ⅲ 矛盾
 Ⅳ 比較にもとづく事実
 Ⅴ 変化と変換
 Ⅵ 科学と知

Ⅴ 結論
訳注
訳者解説
人名索引
事項索引


Ⅰ 序論: 9-40.
1.歴史的分析
〇新しい歴史学
アナール学派による歴史の全体的把握
→政治・軍事的事件の細かい歴史的記述を中心とする伝統的な歴史研究(「表層の歴史学」)に対して、時間と空間を多層的にとらえ、事象を超えた歴史の深層構造の理解と全体的把握(「深層かつ全体の歴史学」)を目指した。

線状の継起に代わって、深層における連結解除の作用が、以後、探求の対象とされるようになったのである。分析のレヴェルは、政局の変わりやすさから「物質文明」に固有の緩慢さに至るまでのあいだで、多数多様化することになった。p.12-13

歴史学における層の問題:「物質文明」
市場経済の下側には、自給自足の活動とか、非常に狭い範囲内で行われた生産物とサービスの間の物々交換の活動とかから成る不透明な層(すなわち物質文明)が広がっている。他方で、市場経済の上側には、資本主義の領域がある。
⇒物質文明――(市場)経済――資本主義という三層構造を検討する。
(F・ブローデル,『物質文明・経済・資本主義 日常性の構造』)

歴史学における系列(セリー)の問題
→階級(資本家・中間層・労働者)は一次元的。
⇔階層:労働者のなかにも経済・情報・社会関係の多寡があるように、多元的。
(M・フーコー,1994,「歴史への回帰」『ミシェル・フーコー思考集成Ⅳ』, p.211-214)

〇思考の歴史
・大きな統一体(ユニテ)から断絶の諸現象への関心の移動。
歴史学が大きなまとまりをとらえようとする中、逆に、なんらかの連続性を持つ大きな統一体から、個々の事象間の断絶に注目する。
事例①:G・バシュラールの「認識論的な行為および閾
→認識が生み出される過程を歴史的に分析。認識の先駆者や始まりから現在までの累積的な物語ではなく、新たなタイプの合理性とそれがもたらす多数多様の効果とを標定することが命じられる。

事例②:G・カンギレムの「諸概念の転位および変換」

https://chanomasaki.hatenablog.com/entry/6772726chanomasaki.hatenablog.com

事例③:G・カンギレムの「科学史における微視的尺度と巨視的尺度との間の区別」

https://chanomasaki.hatenablog.com/entry/6981262chanomasaki.hatenablog.com

事例④:「再帰的な再分配」

事例⑤:システムの建築術的統一性

事例⑥:文学分析
→1つの作品や書物やテクストに固有の構造。

〇歴史的分析に対して提起されている重要な問題
・非連続性の歴史
→たった一つの起源から、意図や目的が維持、継承され、ときに忘却されたかと思えば反復し、完成へと向かっていくのかということを平坦に描き出す「連続的歴史」を明らかにしようとするのではない。
⇔「問題となるのは、もはや伝統と痕跡ではなく、切り分けと限界である。もはや永続する基礎ではなく、基礎づけおよび基礎づけの刷新としての価値を持つ変換の数々が問題となるのだ。」(p.15-16)
⇒断絶を増殖させ、「非連続性の歴史」を明らかにしようとしている。
・求められる問い
→1つの科学、1つの作品、1つの理論、1つの概念、1つのテクストとは、何か?形式化の正当なレヴェル、解釈の正当なレヴェル、構造分析の正当なレヴェル、因果性の指定の正当なレヴェルとは、いったいどういうものなのか?


2.歴史学におけるドキュメントの問題化とその帰結
〇ドキュメントの問題化
・見かけ上の交錯
→狭義の歴史学:非連続性から包括的統一性VS思考の歴史:連続から非連続へ
⇔双方において、ドキュメントの問題化が提起されたが、表面上、逆の効果を引き起こした。
歴史学におけるドキュメント
→ドキュメントから過去を再構成する。ドキュメントの発掘、批判的検討、解釈を行う。
⇔ドキュメントの価値を検討するだけではなく、その内部から働きかけて練り上げるという作業をする。
→ドキュメントを組織化し、切り分け、分配し、秩序付け、もろもろのレヴェルに配分し、もろもろの系列を打ち立て、関与的なものとそうでないものとを区別し、諸要素を標定し、もろもろの統一性を定義し、諸関係を記述するものとなるのだ。
⇒ドキュメントの織物のなかで、諸々の統一性、集合、系列、関係を明らかにしようとする。
歴史学と考古学
→伝統的歴史学:過去のモニュメントを「記憶化」し、それをドキュメントに変換して、語らせる。
⇔今日の歴史学:ドキュメントをモニュメントに変換する。
→考古学:無言のモニュメント、コンテクスト無き対象、捨て置かれたものを研究する。
⇒今日の歴史学=考古学=モニュメントの内部的記述を目標とする。
〇帰結
(1)狭義の歴史学における長い期間と思考の歴史における断絶
・従来の歴史学の任務:日付の確定、確定した諸事象の隣接関係(因果関係、敵対など)を明らかにする。
→既定の系列内の関係を詳細にすること。
⇔今日の歴史学:様々な系列を構成すること。各系列間の諸関係、系列の系列、その「一覧表(タブロー)」を構成すること。
→この変化は、方法論的な整備に基づいて様々な系列が打ち立てられたことによる効果。
・従来の思考の歴史:意識の進歩、理性の目的論によって構成。理性の連続的な年代学。
⇔今日の思考の歴史:長い系列を分断し、並置、継起、重複、交差したりする様々な系列を個別化。起源から完成へというような一般的尺度の代わりに、唯一の法則には従わない、固有のタイプの歴史を持つような尺度が出現する。

(2)非連続性の観念の位置づけ
・従来の位置づけは、各出来事の連続性が現れるようにするために、所与であるが、取り除くべき思考不可能なもの。
⇔歴史的分析の根本的要素の一つ。解読の対象を決定し、分析に有効性を与えるポジティブな要素。
・非連続性の3つの役割。
①歴史家の意図的な操作を構成する。
→非連続性を手がかりとして仮説を立てていく。
②歴史家による記述の結果もたらされるもの。
→各出来事のプロセスの限界、転換点、反転などを発見しようとするから。
③種別化され続ける概念。
→割り当てられた領域やレヴェルに応じて、その特殊性を規定される。

(3)「包括的歴史」のテーマと可能性の漸減と「一般的歴史」の出現
・「包括的歴史」の仮説
①時間的かつ空間的に定められた領域における出来事や現象の間に等質的な関係のシステムを打ち立てることが可能であるという前提。
②1つの同じ形態の歴史性が、経済的構造、社会的安定、心性の不活性、技術的習慣、政治的行動様式を衝き動かし、それらのすべてを同じタイプの変換に委ねるという前提。
③歴史それ自身が結合の原理をもっていて、大きな統一性に分節化されうる。
→①~③の前提をもとに、すべての現象を原理、意味作用や因果の法則、総体的形態のもとに収斂させ、1つの「包括的歴史」を復元する。
⇔「一般的歴史」の企図
→系列の構成、複数の異なる系列間の諸関係、系列の系列=「一覧表」の構成。
※互いに異なる系列を並置し、複数の歴史を描くことではない。

(3)方法論的問題の出現。
→複数の方法論的諸問題が提示される。

歴史学の方法論的領野
・歴史哲学からの解放、他の諸領野でも見られる共通の問題
構造主義ともいえる。
⇔構造と生成という対立は、歴史的領野、構造主義的方法の両方に適していない。


3.連続的な歴史と人間学的な思考との共犯関係
〇主体の避難所
・思考の歴史の連続性は、主体の創設的機能にとって不可欠な相関物。
→思考の歴史を起源から連続的に進行する進歩の歴史として描き出すことができるならば、人間の意識をあらゆる生成の根源的主体として確立しなおし、時間の分散の中で人間から逃れ去ったものの人間への返還を保証するものとなる。
⇒「思考の歴史は、意識の至上権にとって、1つの特権的な避難所であることになろう。」(p.30)

〇歴史のイデオロギー的利用
・脱中心的な歴史的分析
Ex)マルクス主義歴史学ニーチェ的な系譜学による歴史的分析、精神分析学、言語学民俗学による人間の非規則性。
⇔主体の連続性を確立するための歴史のイデオロギー的使用による批判が行われる。


4.本書の注意点
〇本書の試み
・脱人間学的試みの明確化と整理。
→これまでの著作『狂気の歴史』『臨床医学の誕生』『言葉と物』は、既存の思考の歴史に対する批判的試み。そうした問題が生じた理由。既存の著作がほっといていた整合性を与えること。

〇本書に関する注意点。
・認識の歴史の領域に、構造主義的方法を導入することではない。
歴史学の認識論的変異のなかには構造主義的方法と言われるものもあるが、構造―発生、歴史、生成といった論議に組み入れようとしているわけではない。
・既存の著作との補完的書物ではない。
→多くの訂正と内在的批判を含む。
⇒本書は、考古学によって果たされるべき役割、その射程を定めようとするものである。



以上の要約をふまえて,いくつかの論点を提示しよう.
そのうちの1つは歴史学に関わるものである.
(1)反=歴史主義
 フーコー歴史学から嫌われている.フーコー歴史学を否定し,考古学という新たな学問を提示した.そして,本書『知の考古学』はフーコーのいう考古学的実践をまとめた「方法序説」である.こうしたフーコーに関するある種の「神話」は非常に根深いものがある(歴史学から嫌われているのは神話ではなく実話かも?).こうした神話について,蓮實重彦フーコーとの対談の中で次の様にまとめている.

そこでまず,わたくしとしては,ごく簡単に日本におけるフーコー神話ともいうべきものをお話して,あなた自身によってその神話を崩していただきたいと思うのです.フーコー神話は,日本においては,そしてたぶんどの国でも同じでしょうが,三つの物語の継起としてかたちづくられています.第一の神話,それは「構造主義者」フーコーという神話で,(中略),例の「人間」と「歴史」とを殺したフーコー,(中略).第二の神話は,ほぼ『知の考古学』の翻訳によって成立した「方法の人」フーコーという神話です.(中略).第三の神話,それは「反抗の人」フーコーという神話です.
(M・フーコー 1977=2006: 406-7)

これに対し,フーコーは自身の一連の著作に関する展望図を論じてくれた研究者の結論に驚いたエピソードを紹介しながら,次のように答えている.

その研究者がいうには,以上の点からも明らかなとおり,フーコーレヴィ=ストロースの直系の弟子であり,「構造主義者」であり,その方法は,完全に「反=歴史主義」的なものなのだそうです.『狂気の歴史』を,『監獄の誕生――監視と処罰』をみごとに分析してくれた人が,それをどうして「反=歴史主義」的だというのか,まったく理解に苦しみます.
(M・フーコー 1977=2006: 407)

以上のように,フーコーを「反=歴史主義」的と評価することは,蓮實もフーコー自身も間違いであるが,それがすでに神話となってしまっていることを問題視している.フーコーが明示しているように,序章で登場してくる歴史学は3通りある.1つは狭義の歴史学で,もう1つが歴史学の作業から逃れた文学や思想・思考の歴史,そして最後に系列(セリー)の歴史学である.フーコーはこれらのうち最初の2つに関しては乗り越えるべきものとしているが,最後の系列の歴史学に関しては,「歴史への回帰」でも述べているように,連続性という古い概念に逆らって、出来事の不連続性と社会の変革の両方を、現実に即して考えることを可能にする理論的道具,と評価している(M・フーコー,1972=2006: 50).
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